神社の役目は何?

この季節が回ってくると、『神社新報』に神宮大麻暦頒布始祭を報告する記事が載り、昨年度の頒布成績の体数はまた減少したことを嘆く内容はいつも入る。そして、増加を目指さなければならないことは強調される。私が読むと、いつも思うのはなぜ。神宮大麻の頒布数が増加すれば、確かに神宮の収入が高くなるが、それは受け入れる側にとって理由になるまい。授与を勧める場合、その理由を言えなければ上手くいかないのは当然だ。いつも、この問題が浮上する。

しかし、今回しばらく考えれば、より根本的な問題が思い浮かんだ。神社の役目、一体何なんだろう。

『神社新報』を読む限り、一般の神社の役目は伊勢の神宮と靖國神社の宣伝を行うことであるように見える傾向は強いが、そうであるとは思えない。

では、神社の役目は国家の宗祀か。神社本庁はまだそう思うことを示唆する記事や活動も多いが、これも考え難い。なぜなら、まず、国家の宗祀の概念は、明治政府が発明した概念で、神社を非宗教にしながら、帝国団結策を進めるためだった。神社の歴史を見れば、神社によって国家の祭祀は重要だったが、それは宗教的な活動だったとしか思えない。そして、神社は国家の管轄から離脱させられたし、憲法も国家と神道の決別を明確にする。この役目を担ったのは、80年未満だったし、その80年間は70年前に終わった。国家の強い支援はない限り、これを神社の役目にするのは無理であると考えざるを得ない。

そうでなければ、何だろう。伊勢の神宮を支えることだろうか。しかし、そうすれば、その理由を明確にするべきだ。確かに神社本庁の憲章に明記されているが、それは終戦直後、伊勢神宮の奉賛会が神社本庁の母体の一つになった名残である。噂によると、伏見稲荷大社は神社本庁に属しない理由は、伊勢の神宮の地位に賛成できなかったからであるそうだ。それより説得力のある根拠は必要なのではないか。(ところで、靖國神社との関係は不思議である。神社本庁の管轄下に入らないのに、全面的に特別な支援を受ける。)

では、神社の役目は共同体の祭祀だろう。これは確かに長い歴史もあるし、日本人に近所の神社の思い出を聞けば、祭りをあげる人は多かろう。しかし、祭祀の目的は何?共同体の絆を強めることとしたら、「共同体」の定義を決めなければならない。『神社新報』によると、転入した住民とずっと居住した住民の間の軋轢が問題になるケースは少なくない。

それとも、日本の伝統文化を継承するのは目的だろう。伊勢の神宮の式年遷宮の目的はそうであるかのように話すことは少なくない。

また、神の祭祀を行うことか。明記されている役目はこれだが、『神社新報』では、重視されていない印象は強い。それに、神はどのような存在か、適切な祭祀は何か、誰が行うべきかなどの問題は、明確な答えはない。

やはり、このような問題について、さらに考えたいと思う。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: