来年の参議院選挙から、18歳以上の日本国籍を持っている人は投票できるようになる。(私も含まれるかもしれない。)この変更に反対する声も聞こえるが、主な理由として、18歳の人はまだ責任を持って政府を選ぶことはできないと指摘されている。18歳と20歳はそれほど違わないことを置いておいて、この異論は間違っていると思う。なぜそう思うかというと、民主主義の選挙の目的を誤解するからだ。
選挙の目的は、国の最適な政府を選ぶことではない。それは無理だ。最適な政府を選ぶために、まず国の現状を深く理解しなければならない。その上、国際情勢も把握しないと、適切な結論に至らない。この理解に基づいて、必要となる政府の性質は把握するかもしれないが、候補から適切な政府を選ぶために、全ての政治家の性格の質を理解しなければならないし、誰が閣僚になることもわからなければならない。もちろん、これは無理だ。専門家でも、国の現状を俯瞰的に把握するのは極めて難しいが、国際情勢を加えれば、一人の人間にとって無理だ。一般の国民がそうできるはずはない。自分の職業と生活はあるので、国の状態を研究する余裕はない。無理にそうできたとしても、政治家の全てを解析するのは無理だし、選挙前に政党の総裁さえ閣僚がわからない。
明らかに無理なことは民主主義の目的として掲げるのは良くないので、目標は別なところにある。
それは、国民は信頼を失った政府を暴力や武力を使わずに追放できることだと私は思う。確かに、代わりに選んだ政府が良くなるとは限らないが、その場合次の選挙でまた追放しても良い。
このぐらいの判断は、18歳の人もできる。実は、13歳まで下げても構わない。小学生はまだ若すぎるだろうが、中学生は政府に反対するかどうかは決められる。
判断は簡単であるし、その上無責任の投票の影響を抑える措置もある。
一つは、有権者の人数。一票の尊さは政治家は唱えるが、普段は影響はない。僅かな差の勝利は、数百票になる。その上、18歳と19歳の人の人口はそれほど高くないので、一括にしても大きな影響を与えない。
もう一つの措置は憲法だ。憲法は、選挙に勝利を収めた政府の行動を制限する。だから、いかに馬鹿な政党が当選しても、国に与えられる被害には限度がある。これは憲法の重要な役割であるし、唯一の役割だ。国柄を表現することは、憲法と縁はない。
そして、最後の措置は国会だ。国会議員は国の状態を考えて、事実を審議して、適切な政策を決める。もちろん、完璧な決断から程遠いが、国会議員でもまだ人間であるからだ。しかし、専門家になって、情報収集は公務員によって支えられているので、一般の人より理解を持つのは当たり前だ。その上、意見が別れる議員はいるので、お互いに議論したら、複数の立場を理解して、より妥当な決断に至る。
つまり、選挙は必要不可欠だと思うが、適切な行政を保障するのは、それだけではない。国家の構造の他の要素の役割を忘れてはいけない。