祭の概要

神産霊神社は神社本庁に属していない。神社本庁は、包括神社に対して条件を設けるが、その第一は「存在する」こと。その上、神社本庁の規則で神社の要素は定まっている。多様性はあるが、祭や装束は決まっているので、勉強の知識を行使する機会が少なくする。もちろん、神社本庁の神職資格を取ろうとしたら、それに従わなければならないが、この記事はそのような目的を持っていない。だから、神産霊神社の祭は、神社本庁の祭と違う。特殊神事ばかりだ。

祭は、大別したら、三つの種類がある。それは、祭神祭、共同祭、そして氏子祭と名付けよう。

氏子祭は、氏子の個人的な御祈祷や感謝祭をはじめ、通過儀礼などを包括する。初宮参りや七五三、結婚式や還暦の御祈祷から合格祈願祭や病気平癒祈願祭はこれである。行う時期は決まっていない。単純に氏子の希望に応じるからだ。

祭神祭は、神社の御祭神を中心とする。人間のご都合を考えずに執り行われる。もちろん、祭を執り行うのは人間だから、人間の事情を完全に無視することはできないが、重視しない。

共同祭は、神産霊神社の周りにある共同体のための祭だ。御神輿の渡御などはこのような祭だ。共同体が結束して、協力しながらとろこなうお祭りだ。このような祭は観光客や見学者が集まる祭になる。普段は、決まって日時に行うが、臨時祭もあるかもしれない。

この分け方は、神社の重要な役割に相当する。まず、神職は仲執り持ちと言われる。それは、人間の依頼を神様に持って、神様の答えを人間に持つことを指す。氏子祭はこの役割に該当する。氏子が自分の希望などを神社に持って、神様と対応する。そして、共同祭は、共同体を表現する祭であるし、地域の伝統芸能などを駆使する祭だ。個人や核家族の絆より、地域の絆を重視する。ただし、地理的な共同体には限らない。崇敬者の団体がこのような祭を主催することもあり得る。そのような例も取り入れると思う。最後に、神社の目的は神明奉仕である。祭神祭は神明奉仕の結晶である。その目的は神様に奉仕することに専念する。

祭神祭は、時代の変遷と共に変わらなくても良い。神様が変わらない限り、同じ祭を捧げても良い。しかし、氏子祭や共同祭は、社会姿勢の変遷と共に変わっていく。共同体の祭は、昔は農業、特に稲作を中心としたが、現在になると農業に携わる氏子は少ないので、そのようなことを中心とする祭は、共同体の団結を支えない。確かに、昔は豊作の祈願祭だった祭は催し物として生き残ることもあるが、その場合でも現在の氏子の関心を集まる共同祭は必要となる。氏子祭は更に、年ごとにや人ごとに変遷する。神職の臨機応変は求められている。

これから、この三つの範疇について書きたいと思う。共同祭は共同体の性質に合わさなければならないが、架空な神社には架空な共同体があるので、これも自由に発想できる。詳細まで書くつもりだ。


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