大祭、中祭、小祭

神社の祭は一般に三段階に分けられている。それは、大祭、中祭、小祭である。もちろん、これは祭の重要性を示す呼び方だ。神社本庁が包括する神社では、大祭は少ないし、氏子や崇敬者が依頼する祭は必ず小祭である。大祭は神社の例大祭に限るとは言えないが、非常に少ない。中祭は、古代の朝廷祭祀制度から受け継がれてきた祭祀や、皇室と関係する祭祀だ。

神産霊神社では、違う見方とする。

先日に述べたように、祭は三つの範疇に大別する。その範疇は原則として同等な重要性を持っていると考えたい。だから、氏子祭の中にも大祭があると認める。祭神祭と共同祭には大祭があるのは当然であり、神社本庁の形式と一致する。

では、どうやって区別するのだろう。最新祭は、原則に頻度によって分けたら良いのではないか。つまり、毎日の祭祀は小祭として、毎月の祭祀を中祭に、そして毎年や式年の祭祀を大祭とする。祭神祭のうち、臨時祭があれば、その臨時祭の頻度は低いけれども小祭であることはあり得る。例えば、台風接近報告祭があったら、年に10回程度になると思われるが、小祭とするのは適切だろう。ただし、祭神祭では臨時祭をどうするかは、まだ考えていない。

共同体の場合、基準がまたややこしくなる。毎年大きな共同祭を執り行うことがあれば、それを大祭とするのは当たり前だろう。そして、年中行事の一段下の祭を中祭とする。例えば、秋の例祭は大祭で、5節句の祭を中祭とする形は考えられる。(詳細はまだ考えていない。)その上、共同祭には臨時祭がある。例えば、新しい市長の就任とか、大きな開発の関係祭祀などは、共同祭として執り行っても良いが、重要度が異なる。例えば、同じようなことがまた起こることは予想できる場合、中祭とする基準はいかがだろう。市長の就任などは中祭になるが、街の大規模再開発の主な祭は大祭になるだろう。(ちなみに、皇室縁の祭祀は、共同祭になる。)共同祭では、小祭はない可能性に配慮すべきだ。共同祭は、共同体が参列しないと意味はないので、それほど近所の人が集まれば、もう中祭以上の規模や資格になるのではないかと思える。共同祭と思える小規模の祭祀は、祭神祭とするか、執り行わないかという選択肢もあるので、これを更に考えたいと思う。

そして、氏子祭だ。氏子祭では、複数の要素があって、更に複雑になる。まず、祭祀の内容は、一般的に人生の中でどれほど重要であるかということがある。初宮参りは重要だが、普通の合格祈願祭はそれほど重要ではない。受験生にとって重要に感じるが、入学報告祭の方が重要である。受からなくても、別な道を拓くことはできる。そして、依頼者と神社の関係がある。長年縁を組んだ人のための祭祀を更に重視するべきだと思う。永年の指示を認めるのは妥当である。最後に、本人の気持ちも重視するべきだ。気持ちの測り方は、初穂料の金額とすれば実践的である。これを合わせたら、もしかして氏子祭を大祭とするために、まず人生にとって二度と起こらないことをきっかけとする祭祀であるし、神社と縁は深い人が依頼するし、そして初穂料を高めとすることが条件となるだろう。一方、神社との縁は深い人でも、普通の祈願祭で平凡な初穂料であれば、それは小祭になる。

では、続くために祭祀の詳細を考えなければならないので、後日にしたいと思う。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: