潔斎の段階

先日、大祭、中祭、そして小祭について述べましたが、それぞれの存在にとどまった。今回、その相違点を考え始めたいと思う。

神道の祭祀には、お祓いは必要不可欠。その上、延喜式の大祭、中祭、小祭の区別は、潔斎の程度は重要だった。確か、大祭の潔斎は1週間だったような気がするが、小祭はその当日のみとなった。それを考えて、同じような潔斎を神産霊神社に導入すれば良いのではないか。

神職の場合をとりあえず置いておく。先ず、参列者の潔斎を考える。

確かに、殆どの存在する神社では、一般参列者の潔斎は特にない。神事の前のお祓いしかないのだ。金華山の黄金山神社で参籠したら、「潔斎」と言われることがあるが、それは「お風呂」である。もちろん、お風呂は潔斎の重要な一部であるが、全てとすべきではないと思う。潔斎は、日常から非日常への移動を象徴する儀式であるし、穢れが神聖な区域に入らないような儀式でもある。

それでも、小祭は、気軽に参列できる状態は良いと思われる。参加を拒否するような態度をとるべきではない。だから、小祭の参列者の潔斎を簡略なものとする。まず、洋服の上、白い羽織を着させる。和装であれば、原則としてそれを必要としない。なぜなら、服装を非日常にするためだが、現代人の多くは、和装であればもう非日常である。そして、祓詞を唱えて、祓います。これは、普通の神社とほぼ変わらないので、参加するのは難しくない。

中祭は、ちょっと要求する。まず、服を脱いで、禊をする。(これは事実上お風呂になるかもしれないが、禊の詳細は後で考えたいと思う。)それから、和服に着替える。この和服をどうするかは、問題となる。一つの可能性は真っ白の浄衣のようなものだが、神職に似てる服ではなく、現在の着物の形にしたほうが良いかとも思う。それに、真っ白ではなく、礼装の着物にしたら良いのかとも思える。その場合、黒紋付を持っている参列者は、それに着替えることはできるし、女性は黒留袖にも着替えられる。もちろん、和服を外から運び込めば、服も祓うべきだが、それは大きな問題にならない。人間の禊と同時にできる。

本格的な潔斎の重要な一部の食事である。別火で炊かれたご飯などを食べる習慣がある。だから、中祭の潔斎には、象徴的な食事を入れたほうが良かろうかと思う。例えば、禊から上がったら、まず浴衣に着替えて、象徴的な精進料理を食べてから参列する和服に着替える。もちろん、祓詞を唱えることもある。

大祭は、一泊の潔斎を要する。ついたら、禊をして、着替える。この場合、白い浴衣に着替えたら良かろう。そして、謹んで行動する。料理は、潔斎料理とするし、翌朝も、潔斎料理と禊を行ってから、参列する和服に着替えてもらう。大祭の潔斎の一部として、祓戸の神の神事を取り入れても良いかと思う。実は、中祭の潔斎にも取りれられるかもしれないが、ちょっと時間がかかりすぎなのではないか。大祭の潔斎には時間の余裕がある。

こうすれば、大祭が許されても、中祭や小祭として行う人もいると予想できる。それは良しとする。なぜならば、中祭と大祭を特別なことを感じさせるのは良いからだ。大祭には事前予約は必要だし、一泊も必要だから、軽視できない。それでも、捧げる人もいると思える。参籠施設は必要となるが、架空な神社であるので、それは問題ない。このような形で、潔斎は適切なのではないかと思う。


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