比較

イギリスの野党の党首のコービン氏は、非現実的な平和主義者として批判を浴びている。その具体的な内容は、まず、相互防衛を義務付けるNATOの参加に反対することがある。そして、海外へイギリスの兵士を派遣して、戦わせることにも反対している。最後に、イギリスの核兵器の所有に反対する。やはり、極端な平和主義者であるね。

一方、日本の首相の安倍氏は、広く右翼の軍事主義者として批判されている。確かに、同盟国を防衛する義務を負わないものの、日本は直接に襲われていなくても、日本の存続が脅かされたら、武力で同盟国を防衛することはできるようにするつもりだ。その上、戦場までの派遣を許さないけれども、自衛隊の派遣と後方支援に携わらせることを方針とする。そして、もちろん日本は核兵器を所有しないが、アメリカの持ち込みに対してより寛容的な態度を取ろうとしていると恐れられている。確かに、軍事主義者に違いない。

確かに、コービン氏と安倍氏の政策は事実上同じだが、コービン氏は平和主義者、安倍氏は軍事主義者である。

不思議に思うだろう。でも、理由は比較だ。

コービン氏はイギリスの野党の党首だから、今までのイギリスの「茶色な人を爆撃しよう!」という方針からの重要な転換である。一方、安倍氏は日本の「軍隊さえ持っていないよ。戦車に乗っている人にきにするな」という方針の転換も図っている。だからこそ、このように見えるようになっていると思う。

このような現象はよく見られる。絶対的なことではなく、比較的なことは非常に重要である。例えば、年収が200万円から500万円に上がったら、大喜びになるだろう。一方、1000万円から500万円に下がると、泣き喚くだろう。それは最後の収入は同じ、生活水準も同じであるはずであることにもかかわらず。というより、年収が下がった方は、前から残っている財産があるはずなので、生活水準の方が高い。同じように、「貧乏」というのは、周りの人より経済力は弱いということである。日本には1日に100円以下で生活する人は全くないとはいえ、貧困問題はまだある。しかし、世界の目標は100円以下の貧困を半額することだった。(確か。200円だっただろう。それでも、日本にはない水準だ。)

子供の頃有名だった人が普通の、例えば、会計士として働けば、それは墜落であると言われるが、子供の頃は貧困だった人が会計士になったら、それは成功である。いつも比較が大きく働く。

ある意味、これは悪くない。改善をいつも目指すのは悪くないだろう。しかし、それだけに目を向けたら、現在の状況の良さを見失うこともあるし、人の成果を見逃すこともある。この人間の傾向に気をつけなければならないだろう。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: