税制

政府が住民に難しい計算などを課すのは、税制である。だから、一般的な人が社会に生きられるようにするために、税制を簡潔にしなければならない。

その第一歩は、簡潔な税制の必要性を念頭に置くことだろう。なるべく計算しやすい仕組みと、入手しやすい情報も重要である。そして、源泉徴収は簡潔化に向けて大きなことである。計算は、会社の会計士によって行われるので、知識と技能がある人に任されている。しかし、仕事以外の収入があれば、確定申告を提供しなければならない、という法律である。

確定申告を提出するために、一年間の歳入歳出を把握しなければならない。そのため、私はいつも帳簿に詳細を記入するが、そのような行動を一般に義務付けるのは良くない。できない人もいるし、大きな負担を感じる人もいる。一方、詳細の簿記は本人にも役に立つ。思わずの出費を抑えるし、将来のための計画を促すし、経済的な生活を楽にすることは多い。だから、帳簿を促すのは良いと言えよう。

これを踏まえたら、理想的な税制は次の通り。歳入歳出を把握しなければ、法律によって指定された税金を納める。しかし、確定申告を提出すれば、税金が減るので、簿記して、提出できる状態を確保するのは有利である。

この制度の問題は、指定の税金である。主な問題は、年収は100万円から1000万円の人に適応することだ。200万円に指定すれば、1000万円の人には少ないが、150万円の人は到底納めない。それに、低所得と低脳力が伴うことは多いので、一番手続きを避けさせたい人は避けられない。この問題の解決は今思い浮かばないが、さらに検討したいと思う。

そして、税制の解釈を考えたい。どの税制でも、解釈は必要である。例えば、必要経費の範囲に何が入るなどの問題は、必ずしも明らかであるとは限らない。だから、納税者が間違える場合もあると思われる。その場合、後で納税することになるだろう。しかし、その解釈は合理的であったら、滞納は納税者のせいではなく、税制を設定した政府のせいである。そのため、まず利子を徴収するべきではない。その上、金額は大きかったら、それとも納税するべき時点は過去に遡ったら、免除するべきだろう。急に予想していなかった金額の納付を依頼されたら、困る。逆に、誤解で税金を納め過ぎたら、還付金はもちろん、利息ももらうべきだし、説明には問題が認められたら、過剰還付金ももらうべきだろう。

確かに、国家が税金を全て還付すれば問題であるが、税制をわかりやすくするべきだ。その問題を税理士を雇う余裕はない住民に転嫁するべきではない。

刑法教育

国の住民の皆は、例外なく、刑法に従わなければならない。「この行動は違法であったことはわからなかった」と言っても、原則として言い訳にならない。有名な例は、イギリスやアメリカで処方箋無しに薬局で買える風邪薬は、日本では違法の覚醒剤であるので、日本へ持ち込まないように観光案内本が戒める。確かに場合によって警察は裁量を駆使して見逃す場合もあるが、原則は皆が刑法を把握することを前提とする。

「皆」と述べたが、実は例外がある。それは、子供や他の刑事責任はない人だ。子供の場合、刑事責任は何歳から問われるだろう。少なくとも、中学生になってからかと思う。中学生が万引きすれば、警察に通報することはあると思う。つまり、小学校を卒業するまでに、子供は刑法の全てを把握する前提は法律にある。

本当にそうだろう。一切教えない印象だから、ただテレビや教えてもらっていない親から吸収することを見込むかもしれないが、そのような偶然なことは、法律が頼るべきではない。確かに、「殺人はダメ」ということはわかってもらえるかもしれないが、例えば著作権の違法な行為は、友達と分け合う行動に見間違えることは容易である。(私は、小学生の頃そう間違えたし。)このわけわからない刑法は、社会の複雑さを増すので、対策をとるべきである。

その対策を指摘するのは難しくない。刑事責任が問われる年齢までに、義務教育の一環として刑法の全てを徹底的に教えなければならない。

これは無理だろう。本屋さんで司法試験の刑法の教科書を見たことがあるが、分厚いし、文字も小さいし、内容も難しい。小学生には到底無理じゃん。

しかし、本当にそうであれば、刑法を徹底的に改正するべきだ。刑法は、住民の皆が把握して従うべき法律だから、皆が把握できる範囲を逸脱すれば、それは法律の根本的な問題であるのではないか。

確かに法律の公平性を確保するためにちょっと複雑にする場合があるが、それを最低限に抑えて、そしてそれを特別に許す行為に限った方が良い。特別に許すことであれば、学校で学んだ法律に従えば、違法な行為を行わないからだ。法律をさらに詳しく調べて、実はこうしても良いこともわかるが、それは任意である。つまり、義務の全ては小学校で教えなければならない。

そして、「なんでも禁止だ」と言ったら、法律に違反しないのは確かだが、自由は中心的な価値であるので、刑法を自由を最大限で確保するように講ずるべきだ。日本の刑法は、この理想にはもう近いと思うので、大きな問題にならない。

もう一つの条件がある。それは、違法であるかどうかの判断は、なるべく裁判官には任せないことだ。つまり、明らかに合法である行為の範囲を拡大するべきだ。特に「社会福祉に違反しない限り」や「わいせつではない限り」のような表現は、刑法に載せるべきではない。憲法には避けられないだろうが、法律で具体的に「社会福祉に違反する」というのは、何を指すかを指摘しなければならない。目的は、行為を撮る前に、中学生でも違法であるかどうかははっきり判断できることだ。これを可能とするために、法律の目的を明記して、その目的に基づく判断することを裁判官に義務付けなければならない。法律には曖昧な点があるのは不可避であるが、その解釈の基準を明記すれば良い。そして、容疑者の解釈は認めなくても、ある程度合理性があったら無罪とするべきだ。裁判官の法律解釈は厳しい理由に人を刑罰するのは良くない。

しかし、小学生には刑法の全てがわかるようにするために、数年間の法律改正と教育変更は必要だし、小学校の教諭の研修も必要となるので、簡単なことではないのはよくわかる。しかし、この行動の難しさを認めれば認めるほど、現状の矛盾も認めなければならない。

社会の難易度

最近思ってきたが、現在社会は複雑すぎるのではないだろうか。

これは、「昔の村社会の生活の方が良かったな。稲作しながら季節の祭に参加する日本の風土に合う生活は憧れ」ということではない。インターネットなどは大好きだ。むしろ、実践的に現在社会は生きるために複雑すぎるのではないだろうか、という心配である。なぜそう思ってきたというと、私も全てのやるべきことを覚えて整理して、そして生活を送る中の同意書をわかり、規則の通り全て行うのは難しい。自慢したくないが、私の知的能力は平均を上回るので、私に難しければ、難しく感じる人は多かろう。そして、難しく感じない人の中に、状態を把握しないから難しく感じない人も少なくないだろう。

この問題は、制度の問題であると思うしかない。人間の能力には制限があるのは事実の一部だから、それを無視する制度は、重力を無視する制度と同じように非合理的である。しかし、この問題は、誰かが「人間の容量には制限はないので、このようにしよう」と思ったわけはない。原因は主に二つあるのではないかと思う。

一つは、ある分野で数年間専ら働けば、分かってくる。そして、その理解に至るためにどれほどの努力や勉強は必要だったか、忘れてしまう。私は、数年間神道のことを勉強してきたが、私の神道の知識は一般的な常識ではないことを忘れがちになっている。一般な日本人は、神社とお寺の区別にさえ苦労することを自分に思い出させなければならない場合はある。この結果、長く取り組んできた制度は、結局わかりやすいと思い込む傾向は強い。TRPGの作成で頻出する問題だ。新しいゲームを開発した人は「わかりやすい!使いやすい!」と訴えるが、見てみれば不明な点は多いのは通常である。つまり、制度を構成する人は、わかりにくいと思わないが、結局一般人にとってはわかりづらい。

もう一つは、制度の重複である。アメリカから顕著の例を聞いた。ある小学校の教諭が教育委員会(に相当する組織)に児童の試験の多さを訴えたら、「一人には一年に一回に過ぎない」との回答が来たそうだ。それに不服して、「これもあるし、これもあるし、結局毎月ほどである」と訴え返したが、委員会は「その他は、私たちの管轄ではない」と答えた。「それでも、児童は同一だ」と教諭が反発したが、変化はないようだ。つまり、一つずつ考えれば耐えられる制度であるとしても、たくさん重ねると力を超えることがある。

このような問題は、法律で解決するしかない。独立して行動する組織が合わせて問題を起こすので、国家以外問題の全体像を考える組織はない。(もちろん、組織ごとに思わずにこのような問題を起こしていないように気をつけるべきだが、それでも解決策にはならない。)暫くの間、この問題を論じたいと思う。

理想的な目標は、偏差値30の人がわかる、きちんと果たす制度である。結局それは無理であっても、少なくとも偏差値40以上の人が問題なくできるようにすべきである。それを保証する政策を考えたいと思う。