『椿堂』を顧みる

『椿堂』は終わった。当初の予想よりちょっと長くなったが、今年以内収めた。この経験で何を習ったのかな。

まずは、日本語でフィクションを読まなければならないことを痛感した。漫画をある程度読むことがあったし、ドラマも観るので、会話を書くときにどうすれば良いのかは、分かったと言えよう。それも完璧ではないが、セリフの間の日本語は大変だった。登場人物の手振り身振りを描写すること、言い方を説明すること、動作などを描くことは難しかった。いつも同じ言葉を使ってしまって、そして適切な表現であるかどうかはさっぱり分からなかった。このようなことを把握するために、日本語の小説を読むしかない。

そして、ファンタジーの現代の小説は良い。森鴎外や夏目漱石を読めば、明治時代の日本語になってしまうので、変に見える。もう学論的な本を読みすぎて、日本語にそのような影響を受けているので、ライトノベルが良いかもしれない。(それに、気軽に読める作品は良い。重い内容の読書は多いので、楽しいことは欲しいのだ。)読んでいる漫画は文庫本を原作としたので、それは一つの候補だが、ファンタジーで原作は日本語で、名作と思われる本をこのブログの読者が知っていれば、教えていただければと思う。

技術的な側面で足りないことは痛感したし、内容にもちょっと不満を抱く。読者は気付いたかもしれないが、展開は典型的なファンタジィの反対になっている。主人公が周りの社会の規則などに違反すれば、問題が起きてしまうが、それを解決するために規則に忠実するしかない。そして、男女平等が済し崩しされる世界の中だから、一般に認められる動きの逆流だ。もちろん、主人公は女性だから、その流れを止めようとしている。これは、結局指摘したかったことだ。現代社会でも、平等への進化が逆進させられる可能性に配慮しなければならないことと、個人勝手に動くことは必ずしも良くないこと。欧米では常識に反するかもしれないが、日本ではそれほどではなかろう。しかし、このようなことを描写することに成功したかどうかは、心配だ。

登場人物の性格もそうだ。真理安の生活が小説の中で成長するつもりだが、それは見えるかどうかは不安。華多離菜も、真理安のことをどう考えるか、自分のことをどう考えるかは、明らかになっているかどうか分からない。他の登場人物はさらに心配だ。女列安道や恵純理英、頭魔主、羽空、谷入はわかってもらえないだろうと思うしかない。

やはり、書いてすぐに公開することは技術面から考えれば良くない。話のバランスと登場人物の動きを修正したり磨いたりするのは良い。(天才ではない限り。)話の後半はちょっと短くなっているかと思うし、協働の場面は鮮やかに描かれていないのではとも思う。

一方、肯定的に見れば、できた。1ヶ月で37,000文字の小説を書いたし、狙いが見えるかと思える程度になっている。不満な点は多くてとはいえ、できた事実は大きい。やはり、研修の読書をして、再挑戦したいと思う。


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