必須な要素

昨日の投稿から続く。必須な要素はないと、主人公を想像で慣れなかたっら、必須な要素を共有する主人公があると良いのは当たり前だ。では、何がその要素であるのだろうか。

アメリカとイギリスの論争で、この要素は性別、人種、そしてセクシュアリティである。女性は男性の主人公になれないし、同性愛者であれば、異性愛者の主人公は無理だという主張だ。しかし、もう昨日述べたが、私はそうではないのだ。女性でも黒人でも同性愛者でも想像できる。同じように、『ベルサイユのばら』などのアニメを考えたら、日本人にとって、日本人ではない主人公と共感することは全く問題はないようだ。英米の論争で取り上げられた要素は必ずしも重要であるとは限らないだろう。

ただし、私は何でも想像できるわけではない。昨日述べた通り、知的に問題を解決するキャラクターではないと、想像でもなれない。だから、普通に武士と共感することはできない。もちろん、武士が問題を計画などで解決すれば別だが、ただ戦うことだけで解決するなら、私の想像にはならない。幸い、このようなキャラクターは少ないのでこれを問題として感じたことは少ない。確かに好まないジャンルがあるが、それは当然だと思った。

より広く考えれば、必須な要素は、人によってそれぞれなのではないかと思う。体力を重視する人もいると思うし、美貌を重視する人もいるだろう。このような人は、そのような主人公を求める。そして、宗教を重視する人も少なくない。特にキリスト教徒やイスラム教徒は、そうではないキャラクターになることは、想像でもしたくないことは少なくない。ファンタジーの話であれば、文字通り「キリスト教」や「イスラム教」ではなくても良かろうが、キリスト教かイスラム教かを象徴する宗教ではなくてはならない。つまり、一神教で、倫理構成も実際の宗教に似ていなくてはいけない。私も、10代の頃はそうだった。そして、逆に多神教の人にArs Magicaに馴染まないと訴えられたこともある。これは、Ars Magicaで一神教は事実であることはゲームの中で指定されているからだ。(理由も明記してくれた。)

人には、自分の必須な要素について間違えているということはできないだろう。自分にとって大事な要素は、自分にとって大事である。ある人にとって性別は重要なのだが、人種は重要ではないなら、それは認めるべきだろう。作品に合うために人が変更することを求めるわけにはいかない。

現在の論争で、何の作品でも、すべての視聴者が主人公に馴染めるようにするべきであるかのように主張されているが、それは明らかに無理である。主人公を5人にすれば、確かに白人、黒人、アジア人、男性、女性、などを揃えることはできるが、体力や知力も加えたら、数が多くなる。そして、「黒人の女性」や「知的な同性愛者」を求める人がいれば、問題はさらに深刻になる。(ところで、マイノリティが良くマイノリティの主人公の多様性が欠けていると訴えるので、このような問題は実在するのではないかと思う。)これは無理であれば、どう対応すれば良いのだろう。今まで自分に応じる作品は少ないと思った人をさらに排除することはよくないと思わざるを得ないが、具体策はそれほど簡単ではない。

この問題は、次回考えたいと思う。