多様な声

多様な人に置き換え可能な主人公を提供するために、まず多様な主人公を提供しようとする意識は必要だ。つまり、主人公には多様性があることを肯定的に評価して、積極的に求めなければならない。この点は理解に難くないだろう。主人公をいつも同じようにすれば、多様性は発生しないのは当たり前だし、人間は癖に陥りやすいので、積極的に求めないと忘れるので、積極的にするのも重要である。しかし、これは充分ではない。

一人の人間は、自分の立場からしか考えられない。明記すればこれも言うまでもないことのように見えるが、意味は深くて、実感しがたいのである。世界に対してどういう風に質問を問うか、どのような解答を受け入れるか、何を多様性としてみなすか、何を統一として見えるかは、人によって違う。この問題で、ある人にとって二つの主人公が同じく見えれば、わざと二つ目を載せてはしない。一つ目ではもう多様性を確保したので、多様性を広げるために別な主人公にする。しかし、別な人にとって、その二つの主人公の間に重要な違いがあるかもしれない。同じように、何の要素を重視するか、何を軽視するかは、人によって異なる。

そして、想像力は人によって異なる。知識や経験によって、発想する内容は異なるのは当たり前だろう。(この話題で、当たり前なことは多い。その当たり前を見逃さないのは重要である。)だから、作者は少なかったら、または作者の背景と経験は似ていれば、作品もある程度似てるのも予想できる。そうであれば、置き換え可能な主人公が欠ける可能性も高くなる。

実力のある作者は、具体的で詳しく「このようなキャラクターを描いてください」と言われたら、できる。私は、キャラクターと違うと描写できないとは思わない。想像力を駆使して、自分と異なるキャラクターは描写できる。ファンタジーでは、それは必須だし、時代劇にも必須だ。(現代の日本人は、江戸時代の日本人と大きく違う。)しかし、そのキャラクターを自分の立場から描くし、自発的に思いつかないキャラクターも少なくない。そして、どういうキャラクターが欲しいのかよく分からない人も少なくない。作品で見れば喜ぶが、事前に描写してもらうことはできない。

この問題を解決するために、作者の多様性を積極的に促すべきだと思う。多様な作者は自分の中で思い浮かぶキャラクターを描くし、描くキャラクターを自分の立場から描くので、キャラクターの多様性も確保する。ここで重要となる多様性はまず文化的な背景であるので、一応母国と言えるが、それだけではない。作者の多様性にも、私は想像できない多様性が必要である。だから、ある人が「多様な作者」を選ぶ方法ではなく、より根本的な多様性を養う方法は求められる。その方法について、次回から論じたいと思う。