青年を守ること

自由主義の実現には、未成年者の扱いは大きな問題になる。なぜなら、原則として自由にするべきだが、完全に自由にしてはいけない。親になったら、その事実を痛感する。特に幼児は、自分に大きな被害を与える行動を取ろうとすることは少なくない。しかし、青年になっても同じような問題がある。だから義務教育は15歳までだし、飲酒は20歳からである。現行の法律ではそのような規制があると認めても、必ずしも妥当であるとは限らない。だから、今回その根拠についてちょっと考えたいと思う。一つの投稿で問題のすべてを解決できるわけはないが、第一歩を踏みたいのだ。そしてまたしばらくの間考える。

前にも述べたが、私にとって大人の自由は、自分の人生を計画して実現する自由である。大人は、明らかに自分の人生を台無しにしてしまうとしても、強制的に止めるわけにはいかない。注意したりするのは適切だが、その注意を無視すれば、惨劇を見守るしかない。大人の場合でも、微妙なところがある。例えば、注意を聞いていないと疑う場合、一時的に止めても良いだろうか。それでも、青少年より簡単な状況である。

未成年者は、将来的に自分の生活を自由に計画して実現する力をなくさないように守るべきだろう。つまり、子供であるうちにもう将来を決めてしまう行動を防御する。このように考えたら、具体的にどうなるのだろう。

まず、現行の制度の一部はすぐに正当化できる。お酒は、毒であるし、成長の途中の脳には悪影響を与えるし、それに依存を起こすので、子供の頃お酒を飲めば、将来を失う恐れがある。お酒は実は特に危ない薬物であるので、未成年者に禁じるのは妥当だと思う。タバコも同じです。脳に悪影響を与えないが、肺や心臓を壊す。大人になったら、自分にそうしたい人をさせなくてはいけないが、未成年者を守るべきだ。

他方、義務教育も妥当である。自分の人生を計画するために、ある程度の実力は必要不可欠だ。その実力を身につけるために、教育を行わなければならない。確かに、義務教育の目的をこのように考えれば、内容を改善する必要性を感じるかもしれないが、原則として適切な行為である。大人になって生活すると見込まれる社会に合う教育は必要だから、内容は国によって、そして時代によって異なるのも当然だ。同じように、何歳まで続くかは、どの程度は必要であるかによって判断するので、議論の余裕はある。

問題になる点もある。例えば、賭博を考えよう。子供には、借金を組むことを許さないので、賭博でお小遣いを失うことに留まる。それは、将来には大きな影響を与えないだろう。時間を無駄にするだろうが、ゲームも同じだ。賭博を子供に許すべきだろう。問題は、ギャンブル依存である。ギャンブル依存は本当の問題であるので、その頻度を見て考えるべきだろう。性的行為も同じだ。長期的な影響は少ない。特に同性の性的行為では、妊娠はない。性教育を充実すれば、異性の性交でも妊娠は少ない。スポーツで怪我を負うことと同じように、リスクであるが、子供や青年をすべてのリスクから守ることはできないし、するべきでもない。

反対方向から見れば、若いうちに体操などをやりすぎたら、長く問題があることは報道されているので、体操を制限するべきだろう。

それでも、すぐに「大人になって自分の人生を計画するために、何が必要なのだろうか」と言う問題が浮き彫りになる。完璧な健康を求めるわけにはいかないので、そのぐらいの不全を許すべきかは決めなければならない。このような問題をさらに考えて、この課題に戻りたいと思う。


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