ネット広告戦略

ホームページを訪ねたら、広告が見えることは多い。このブログも例外ではない。この広告の多くは、掲載されるページの内容を考慮して自動的に選ばれるが、読者の履歴も強い影響を与える。つまり、過去訪れたページに似てるページの広告を見せることにもなる。特に、広告にクリックしたことがあるようなページが現れることは多い。それは、広告を管理する会社は、クリックを最大限に拡張したいからだ。

そして、仕組みとして、広告主からページ主へお金が移る。もちろん、管理会社が一部を徴収するが、主な動きはそうである。

これを考えれば、意外な戦略が好ましい。

それは、自分の好きなページを見ながら、好ましくないサイトの広告にクリックすることだ。

もうお分かりになる方は多いだろうが、その理由を説明する。

自分の好きなページを見たら、ページ主は自分の好むものを発表する人である。だから、お金がその人に行けば良い。その人にとってもありがたいし、ページの運営が続くことも保障するので、自分にとっても良いことだ。もちろん、自分のお金を提供しても良いが、自分にとってより良い方法がある。それは、評価できないことをしている人を評価する行動にお金を提供させることだ。普段は、その方法はないが、好きなページには評価できない行動を広報する広告が現れたら、方法がある。その広告にクリックすることだ。

そして、このような行動を繰り返したら、管理会社の記録で、このような広告にクリックする傾向は認知され、そのような広告をさらに見せることになる。だから、評価できない活動から評価できる活動へお金を移す機会が増える。

この戦略で考慮しなければならないことは、広告を出している人は、その行動に興味を持っている人を惹こうとしていることだ。反対しているのにクリックすれば、ある意味で良くないだろう。管理会社とページ主は構わないが、広告主の損になるからだ。評価できないからといって、必ずしも損させても良いとは限らないだろう。だから、この戦略をちゃんと考察すれば、勧めることはできない。

しかし、制度の付着問題の例として良いだろう。このような戦略をとっている人に対して、何もできない。関わる人との契約はないし、広告をクリックするのは自由だし、基準を自由に決めても良いので、悪いこととして指定できるポイントはないようだ。ただ良心に頼るしかない。制度として、それは良くないと思う。もちろん、個人的に良心に従うのは良いが、制度がそれを前提とすれば、すぐに崩れてしまう。そうしない人はどこに国にも存在するからだ。

ここで、もう一つのことに頼れるだろう。ほとんどの人は素直にすることだ。このような複雑な戦略を覚えて、実現するのは難しいので、多くの人はしない。少数の人がしても、制度は崩れないので、その少数を黙認しても良い。実際に考えれば、この場合はそうであるのではないかと思う。それでも、私はこの戦略を取らないだろう。


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