有権者の啓蒙

では、有権者が間違える恐れがあれば、啓蒙してより賢い選択肢を促してはどうでしょう。

もちろん、啓蒙と教養は良いことだ。義務教育で国家の構造などを説明して、選挙の意味などを明らかにするべきだ。そして、人間のありがちな誤りを紹介して、それを回避するコツを教えるのも良い。これは、するべき行動だと思うので、強く促したいのだ。

しかし、選挙の問題は解決しない。まずは、この教育を無視する人も存在するに違いない。そのような人から参政権を剥奪するだろうか。もちろん、そうできない。大きな知的障害のある人から参政権を剥奪ことはできるかどうかは難しい問題だから、ただ単に教育を拒否したことで剥奪するわけにはいかない。そうであれば、間違った一票を投じる人はまだいると思われる。

それに、教育をちゃんと受けて、重要性を十分認める人を考えよう。この人は、責任を持って選挙を臨む。その選挙で、与党は景気回復のために労働制度の緩和を掲げている。野党は、同じ目的のために労働制度の厳格化を掲げている。では、どう投じたら良いのか。この人は経済学の専門家であっても、意見は分かれているので、すぐに答えられない。専門家ではないと、どう決められるだろう。規制緩和が経済の活性化を導入するかどうかは、研究の課題となって、投票で決められることではない。

その上、課題となることはそれだけではない。複数の課題について判断しなければならない。誰であっても、その全てを把握して、知恵を絞って決めることはできない。政治家はよく理解していないと言われるが、政治家は、このようなことを理解するのは職業であるし、時間もあるし、平均以上の知能を持っているので、政治家はちゃんと把握していなければ、一般市民が把握するはずはない。

さらに問題がある。仮に全ての課題で判断できたとしても、選択できる政党の指針と完全に一致することは非常に少ない。これもまたある政党の国会議員の間でも、政党の指針に賛成しない人も含まれる。党の全ての指針に賛同することは期待できない。では、一部賛同できる党をどうやって選ぶだろう。課題の重要性を考えるだろう。それでも、よくないと思う指針に一票を投じる。全ての課題を国民投票の対象としたら、一般人も政治家にならなければならないし、前述した問題はまだ解決していない。

つまり、啓蒙は良いことだ。もしかして、国民の大半が選挙の意味をちゃんと把握して、人間の心理の弱点を把握したら、一票をより賢く投じるだろう。それでも、一番楽観的な解釈にしても、多数が課題を理解して適切に投じることは期待できない。

では、民主主義を止めたほうが良かろうか。有識者に権力を与えるべきだろうか。そうではない。民主主義には重要な役割があると認めざるをえない。その詳細は、次回説明させていただく。

選挙の役割

最近、アメリカの政治を見たら、心配するのは私だけだろうか。NHKのニュースでもトランプ氏が過激的な発言を繰り返すことを指摘する。この人はアメリカの大統領になるかと思ったら、ぞっとする。そうならないように祈ってやまないが、民主主義の役割を問わせる現象であろう。このような人が選挙に勝つなど、信じられない、と。しかし、歴史を思えば、ヒトラーが選挙で勝った。では、選挙を廃止して、有識者によって政策を決めた方が良いのだろう。そうではないと思うが、選挙の目的は明らかではないとも思ってきた。

選挙の目的を聞けば、理論家は「国民にとって一番適切な候補を選ぶための措置だ」とこぞって言う。(ちょっと大袈裟かもしれないが、そのような答えは極めて多い。)その論理は次の通り。自分の希望や目的がよくわかるのは本人だ。そして、候補者の案を知っていれば、自分に適している候補者を選ぶ。だから、適切な政権になる。

この論理は問題ばかりだ。もちろん、この問題を把握する理論家は少なくないが、纏めて全体像を描写する人は少ないような気がする。この投稿で、そうする。

まずは、本人は自分の希望や目的がよくわかることは間違いである。研究の成果で、人間は自分の希望などを間違えることは多いことが明らかになった。「これあったら、幸せになる」という思い込みは特に間違いがちであるようだ。つまり、他の理解は完璧であるとしても、実はこのことを入手すれば、満足しない。

そして、自分の目的を入手する手法を勘違いすることは極めて多い。アメリカは顕著な例になる。富裕層に入りたい人は多いが、その方法として、行政の関与を抑えて、富裕層の税率を引き下げることは良いと信じているようだ。そのことはない。アメリカで、階級を変えるのは大変難しくて、異例なことである。ただ4億人程度の人口であるので、事例がある。

これまでは完璧であるとしても、まだまだ問題がある。候補者は嘘をつくことだ。選挙運動での約束には拘束力はない。当選すれば、別な政策を導入することはある。政治家は嘘をつかないこととしても、方針は約束と違うことは当然ある。状況が変わるからだ。例えば、東日本大震災が発生したので、行政が復興政策を導入した。政策の詳細についての意見は多様であろうが、選挙時点の公約には復興政策は載っていなかった理由で批判する人はいない。

つまり、現状を見つめたら、選挙で一番適切な候補者が選ばれると期待できない。この事実は、広く認められている。対策として、有権者の教養や啓発は必要であるとの声は多いが、それについて次回論じたいと思う。

女性クオーター

女性の社会進出はまだまだ進んでいない。日本の社会問題の中で、もしかして一番大きくて急務に当たる問題であるといえよう。(気候変動や貧困問題も「一番」の候補であるので、100日でこのすべてと取り組むべきであると思う。)誤解されないように、解決に向けていると思うことを先に述べておく。特に安倍政権の「女性が輝く社会」の目的は、態度の変化に大きな影響は期待できるのではないか。保守派の右翼も女性の社会参加を後押しすれば、逆風になる大きな勢力はもうないので、進化はほぼ確実である。

しかし、進化の速度は非常に遅い。このような変化には、数十年間がかかることは避けられない。なぜかというと、管理職に女性が就くために、適切な経験が身につけた女性の存在は必要不可欠だ。その経験を得るために、10年以上前に、管理職の準備職に就いた必要がある。そうするために、その前に適切な教育を受けなければならない。つまり、社会の権力層に多くの女性を見るのは、積極的な政策を導入してから50年が経った時点だろう。欧米ではそうであるが、日本ではその進化をなるべく早めたいし、早めることは無理であるとしたら、少なくとも着実に進むことを確実にしたい。

そのために、クオーターは良いと思う。そのクオーターは、従業員の3割以上は女性であることとする。と同時に、同じく3割以上は男性であることも義務付ける。男性が中々進出できない分野は、女性と比べたら非常に少ないが、皆無ではない。ただし、資格を持つ候補者を確保するために、この基準を段階的に導入する。

法律の執行の次の年度から、クオーターは15歳の中卒の人に該当する。そして、年度ごとに1歳あげる。つまり、執行の次の年度に中学校を卒業する人は、人生を通してこのクオーターに該当するし、そのあとで卒業する人も同じである。ある企業や組織が基準を満たさない場合は、過剰金を課す。それは、売り上げの全体をもとに計算する。比率は、学年ごとに男性と女性の割合を30%と比べて、30%を最も大きく下回る学年と性別を該当させる。その割合が30%を下回る分は、売り上げの割合に計算して過剰金とする。例えば、ある学年の女性は27.5%であるとしたら、そしてそれは最悪の場合であれば、その組織の過剰金は売り上げの2.5%になる。女性か男性を除外する規則があれば、それは30%の過剰金になる。それに、学校法人などの税制待遇などは失う。税金のために、普通の会社としてみなす。女性も男性も、規則上自由に進出できれば、実現しないと過剰金になるが、他の税金は前と同じになる。

この制度は事実上執行から3年後に実行する。なぜかというと、日本人の若者のほとんどは高校に進学するからだ。女子校と男子校は、例外とする。なぜなら、教育論上性別の教育には子供にとって利益があるとの証拠があるからだ。ただし、5年間いない、男子校と女子校は同じ地域の同じ水準の学校と連携して、合わせて水準を満たす義務をつける。歴史的な経緯のため男子校の方が優越である状態を防がなければならない。

もう一つの例外は、該当する人は12人を下回る組織である。それほど小規模な組織であれば、割合が偶然に大きく変動するので、法律が過重な負担になる。しかし、事実上一つの組織になっていることは、法律の細則で見なければならない。例えば、神社界ではほとんどの神社は12人を下回るが、宮司の人事は神社庁が司る。その場合、神社庁ごとに計算する。

このように導入すれば、今年の新入社員から女性と男性を3割以上雇えば良い。急に存在しない人材を確保する必要はない。

最後に、この法律には期限を設けた方が良い。その期限は、60年後とする。そうすれば、中学校を卒業した時点で初めて対象となった人は定年退職すると思えるので、法律の効果がキャリアの最初から最後まで及んだと予想できる。

女性の立場を固めるには時間がかかるが、このような制度があれば、前進は確実であるに違いない。