東日本大震災から5年

今日をもちまして、東日本大震災から5年が経った。犠牲者のご冥福を祈りながら、一刻も早い復旧を願うのは普通であるが、願いだけで何も果たさない。だから、何ができるかについて書きたいと思う。

もちろん、一人の一般人であれば、できることには厳しい限度がある。特に被災地に住まない人なら、限度はさらに厳しい。なぜかというと、本当の復興は自力でなければならないからだ。被災地に住む方が自分たちで復興の方針や事業を決めないと、その地域の活気は湧いてこないと思うし、外から「助け」に来た人が帰ったら、建てたことはすぐに崩れ落ちる。一方、そのような甚大な災害に遭ったので、外からの支援はなかったら、力は早い復旧には足りない。だから、現地の人の事業を支援するべきだと思う。

そして、最初に寄付は必要だったが、5年が経ったら、寄付が適切になる場合が少なくなると私は思う。現地の復旧はまだまだ途中だが、現地の経済活動を支えるべきである。長期的に考えれば、それは復旧の原動力になるので、なるべく後押しするべきなのではないか。確かに、寄付したら良い場合もあるが、経済を支えるのは一番なのではないか。

そのために、基本的に三つの方法がある。一つは、仕事を持ちながら被災地に引っ越すことだ。それは難しいだろう。私はできない。理想的なことは、企業を持って引っ越すことだ。そうすると、現地の雇用も増えるし、経済も活発になる。しかし、それは理想の話だから、現実的ではない場合は大半だろう。

もう一つは、現地の生産品を買うことだ。これは重要であるので、軽視すべきではない。特に、直売の方法で買ったら、経済と生活を支える。

最後の思い浮かぶ方法は、被災された地域への旅である。これは、私が取った方針である。旅をして、現地でお金を使うことで、地方経済に微力ながら貢献できる。そして、被災地の現状を肉眼で見て、復旧への道程の長さを実感しながらも、進化を感じることはできる。複数回すれば、縁を結ぶこともできる。特に、同じ場所を数回訪れたら、その場所の進化も分かるし、その場所の住んでいる方も自分を覚えてくれる。(私の場合、二回目から覚えてもらうが、その側面で私は一般人ではない。訪れる外国人は少ないので、目立って、覚えやすいようだ。)それで、一人で被災地全般に何もできないが、縁を結んだ場所では、小規模であっても、見える貢献もできる。

これも重要だと思う。抽象的に考えれば、被災地の現状を忘れるのは簡単であるが、ある特定の場所や特定の人を考えれば、容易に忘れることはない。そして、その人の事業にちょっとだけでも貢献すれば、その影響を見ることはできる。それで、支援が絶望でなくなることもない。貢献の意味は肌で感じられる。もちろん、現地の方が発案した事業を支援するのは大前提であるが、そのような機会は少なくない。

5年が経ったら、関心が衰えると言われるが、復興はまだまだ途上である。だからこそ何かの縁を結んで、被災地を支援するのは重要である。


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