選挙の役割

最近、アメリカの政治を見たら、心配するのは私だけだろうか。NHKのニュースでもトランプ氏が過激的な発言を繰り返すことを指摘する。この人はアメリカの大統領になるかと思ったら、ぞっとする。そうならないように祈ってやまないが、民主主義の役割を問わせる現象であろう。このような人が選挙に勝つなど、信じられない、と。しかし、歴史を思えば、ヒトラーが選挙で勝った。では、選挙を廃止して、有識者によって政策を決めた方が良いのだろう。そうではないと思うが、選挙の目的は明らかではないとも思ってきた。

選挙の目的を聞けば、理論家は「国民にとって一番適切な候補を選ぶための措置だ」とこぞって言う。(ちょっと大袈裟かもしれないが、そのような答えは極めて多い。)その論理は次の通り。自分の希望や目的がよくわかるのは本人だ。そして、候補者の案を知っていれば、自分に適している候補者を選ぶ。だから、適切な政権になる。

この論理は問題ばかりだ。もちろん、この問題を把握する理論家は少なくないが、纏めて全体像を描写する人は少ないような気がする。この投稿で、そうする。

まずは、本人は自分の希望や目的がよくわかることは間違いである。研究の成果で、人間は自分の希望などを間違えることは多いことが明らかになった。「これあったら、幸せになる」という思い込みは特に間違いがちであるようだ。つまり、他の理解は完璧であるとしても、実はこのことを入手すれば、満足しない。

そして、自分の目的を入手する手法を勘違いすることは極めて多い。アメリカは顕著な例になる。富裕層に入りたい人は多いが、その方法として、行政の関与を抑えて、富裕層の税率を引き下げることは良いと信じているようだ。そのことはない。アメリカで、階級を変えるのは大変難しくて、異例なことである。ただ4億人程度の人口であるので、事例がある。

これまでは完璧であるとしても、まだまだ問題がある。候補者は嘘をつくことだ。選挙運動での約束には拘束力はない。当選すれば、別な政策を導入することはある。政治家は嘘をつかないこととしても、方針は約束と違うことは当然ある。状況が変わるからだ。例えば、東日本大震災が発生したので、行政が復興政策を導入した。政策の詳細についての意見は多様であろうが、選挙時点の公約には復興政策は載っていなかった理由で批判する人はいない。

つまり、現状を見つめたら、選挙で一番適切な候補者が選ばれると期待できない。この事実は、広く認められている。対策として、有権者の教養や啓発は必要であるとの声は多いが、それについて次回論じたいと思う。