維持

三つの目標を考えれば、その目標と関わる目標が思い浮かぶ。この目的は、発見、創造、そして成長に基づく目的で、それ自体は最終目標ではないが、それでも重要である。

それから今日論じたい目的は維持である。維持は既存するものそのまま保つ行為であるのは言うまでもない。基本的な目標のすべては変化を目指すことであるので、矛盾があると思われるだろうが、決してそうではない。この目標の中で重視するのは、繰り返し言ったが、過程ではなく、成果である。成果を一旦納めたら、また喪失すれば、意味はないだろう。成果を保って、将来に渡すのは望ましい。

これは、自分が作ったものだけではない。他の創造の成果も尊重しなければならない。過去の美術作品はもちろん、無形文化財のような伝統もそうだし、過程より成果を重視するので、人間が手を出さない成果も尊重する。つまり、大自然の保護もこの範囲に入る。進化が数億年をかけて産み出した生き物や風雪が掘った山も、創造の成果として考えるべきなのだろう。そして、発見はそもそも自然の存在を対象することは多いので、発見の成果を生かすために自然のものを残さなければならない。成長は確かに人間に限るだろうが、(動物の成長を対象とするかどうかは難しい問題だが、動物を倫理の範囲に入れたら、ややこしい問題が多数現れるので、とりあえずしない)成長の成果を保つために人間を殺さず、傷つかずにする。それはもちろんのことだが、より根本的な自由尊重にはもう決まっているので、さらに協調する必要はないだろう。

一方、維持は、二次的な価値である。基本になるのは、発見、創造、成長自体である。つまり、既存するものが成長や創造の妨げになれば、新しいものを優先するべき倫理観である。しかし、この優先順位を絶対的なものではないと思う。既存のものがちょっと邪魔になることは多いが、それを理由に過去の成果をすぐに捨てれば、何も成果を残すことはできなくなる。つまり、均衡を目指さなければならない。創造は、過去をなるべく壊さずにすべきである。過去の作品が存在する場所で作らなくても良いはずなので、過去の成果を避けて作成するべきだ。昔の伝統を途絶えさせず、新しい伝統を導入するのは良いので、そうするべきだ。なるべく両立できるように努めるのはこの倫理観の指針である。

それでも、どうしても過去のものと新しいものを併存させられない場合なら、新しいものを優先することとなる。既存のものは既に影響を世界に与えたので、新しいものにはそのチャンスを与えるべきだ。

この場合、既存のものを保存とする人は多くいれば、保存になるかもしれない。自分の自由を使って、過去のものを買って、保護することがあるからだ。そのような行為は、そもそも許さなければならない。自分で判断するが、その判断は、いつものように他の人の判断と合わせなければならない。


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