女子神職と男子神職の比較

前回女性と男性の割合を比較すると言ったので、今回、そうする。まず、総合的な割合を表で見せる。

女性 男性
一般神職 25% 67%
実家神職 14% 10%
巫女等 21% 1%
兼職 8% 5%
進学 4% 4%
神社界後退 28% 13%

この表を見ると、不公平である事実は明白である。神職の資格を取得するために数年間(多くの場合、4年間)頑張った女性の28%が神社界で働かないことにする。それは奉職先は見つからないからか、神社界を知って関わりたくなくなるからかはとにかく、問題がある証拠である。それに、男性の67%が一般神職になれるが、女性の25%しかできない。兼務などを合わせたら、神職の資格を目指す男性から見れば、達成すれば神職として働ける確率は82%に登る。兼職することもあるが、それは全体的に珍しくない。一方、女性であれば、神職として働ける確率は47%に過ぎない。実は、この比較のため、実家神職を外した方が良い。実家神職は、大学などに入学する前から資格を取得すれば働けることがわかるからだ。生まれた時点から実家の神社で奉職する宿命を負っただろう。

そうすれば、女性の確率は38%で、男性の確率は80%になる。女性の確率は半分になっている。

そして、神職の資格を持つものの、神社でその資格を活かせない立場にさせられる確率は、女性であれば21%であるのに対して、男性である場合1%に過ぎない。もちろん、この多くは巫女奉職であると思える。巫女として奉仕することは、神社と無関係な仕事よりましであると認める。ただし、男性は神職として奉仕できる。女性には、その機会は少ない。

この数字を見れば、神社界には構造的な男女差別があることは疑えない。構造的な差別とは、個人的に「女性は神職になるべからず」と思う人がいるという意味ではない。構造的な差別は個人の態度と関係しない場合は多い。例えば、神社の潔斎殿では、浴室は一つしかない場合、女性を神職として奉仕させるわけにはいかないと思う神社もあろう。それとも、育児休暇を許さない制度があれば、女性にとって奉職しにくいだろう。このような事態は構造的な差別である。存在するかどうかは、自分の態度を見てわかるではない。統計を見て、あるカテゴリーの昇進は比較的に少ないことを発見してわかることだ。

確かに、神職になりたい女性は少ない可能性もある。資格を取得人の23%は女性である。その割合は低く見えるが、もしかしてそれは自然な割合だろう。すぐにその仮説は否めない。しかし、今回表示した数値は、神職になりたい女性の中の割合である。親は宮司ではなかったら、なりたい女性の38%しかなれる。男性は80%である。このような結末は知られているはずだから、女性が資格を取得することを避けてもわかれるだろう。

この問題を解決するべきだろう。私は解決するべきだと思うが、その理由について次回論じたいと思う。


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