お祓いと再出発

お祓いで穢れを落とすことは、過去の問題から脱出することも象徴すると言えよう。罪悪感、心の痛みなどは、後遺症として人生を悪化させることは少なくない。お祓いは、このような問題の解決に貢献できるのではないかと思われる。

しかし、この問題はさほど簡単ではない。「その問題を過去に預けて、先へ進もう」というだけで解決できたら、大きな負担になるはずはないが、苦しむ人は少なくない。精神科医の指導や支援を受けて、やっと脱出できる人もいるし、数年間の経過でやっと回復した人もいるようだ。お祓いの儀式には魔法的な力があったら、解決にすぐに繋がるだろうが、その魔法の証拠はないだろう。より実践的に考えなければならない。

これで貢献できることは二つあるのだろう。

一つは、前回の約束の問題のように、儀式を挙げて、心の中の変化を外で表すことだ。このような行動にはある程度の効果があると言われるので、治療の最後として使えるかもしれない。その問題を過去のものとすることを公表して、周りの人の支えを頼む意味も含まれる。人間にとって、象徴的な行動の意味は大きいので、これを軽視すべきではない。

それでも、もう一つの役割の方が重要なのではないかと思う。それは、過去から脱出する許可である。過去の束縛から出られない理由の一つは、そのことをずっと担うべき気持ちになることは多かろう。これは特に罪悪感の場合見えるだろう。

現実的に考えたら、過去を変えることはできない。大きな犯罪であるとしても、いったん犯したら取り消すことはできない。だから、より良い世界を構築するために、その行動を繰り返さない決意も重要だし、被害を償うことも重要だ。このような穢れは、伊邪那岐神の黄泉の国の後の禊より、須佐之男命の高天原からの追放の方に似ている。その場合、罰もあったし、償うものもたくさん取られたが、そうすれば解放されて、また活動に戻れた。八岐大蛇の話はその後である。だから、いかに大きな犯罪を犯したとしても、繰り返さないように決意して、そしてできるだけ償えば、お祓いでそれを過去にして、これからの人生を続くこととする。実は、現在でも神社本庁に包括される神職が犯罪者の立て直しに努める。犯罪の場合はこうであれば、事故の場合はなおさらだろう。繰り返さないのは当然だし、償いは必要ではないと思う人もいるかもしれないが、このような構造があれば、やっと乗り越えるのは常識である環境を整える。

被害者の場合も同じようなことがある。もちろん、被害者には償う義務はないが、心理学的に回復することは難しい。環境として、永遠の苦しみにならないので、応援するというメッセージを組み込むと良いのではないか。これは、お祓いの概念として取り入れることの一つだと思う。


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