戒律と誘惑

人間の生活には誘惑は多い。例えば、性的な行為、賭博、酒などの麻薬はそうだ。何もせずにのんびりする誘惑もある。この誘惑の多くは、他人に大きな迷惑を与えることは少ない。そして、迷惑を与えても、仕事上与える迷惑と変わらない。例えば、酔っ払って、路上で大声で歌うことは迷惑だが、バスの通常運転もうるさいし、工事現場はさらにうるさい。損害があれば、自分は主な被害者になる。それでも、「倫理」と考えれば、このような分野がすぐに思い浮かぶ。

このブログで前に触れたが、この分野での戒律の本来の機能は、当事者を自分の誤りから守ることだろう。例えば、お酒を飲みすぎたら、翌日も辛いし、その飲酒の時間もなくなるし、健康へ悪影響を与えるし、アルコール依存になる恐れもあるので、人生を壊す可能性は少なくない。しかし、特にお酒を飲む習慣があれば、お酒を飲む誘惑を無視するのは容易ではない。だから、自分の意志を強めるために、戒律を立てる。例えば、お昼の前に飲まないこと。平日に飲まないこと。

このような規則は、多くの人が自分のために定めると思う。お酒以外の例も多い。例えば、その日の仕事が終わる前にテレビを見ないこと。金曜日以外、仕事帰りに飲みに行かないこと。しかし、このような規則は、自分が定めるので自分で更新することもできる。だから、自分の都合に合わせて更新する恐れがあるし、効果が薄くなる場合も少なくない。そのため、社会的な倫理的な規則になってきた可能性は指摘されている。

お酒などの麻薬の歴史を見れば、明白な例がある。お酒のように生理的な依存を引き起こす麻薬の危険性は否めない。多く使ったら、体に悪影響を与えるし、頭を狂わせるので周りの人に対しても危なくなる。一方、使うと気持ちよくなることもあるし、気をつければ被害をほぼ避けることもできる。依存になったらなおさらだが、依存にならなくても誘惑を感じることは少なくない。そのため、多くの倫理観でこのような麻薬の使用は倫理違反で、禁じられる。イスラム教では、お酒に原則として禁じられる。日本やアメリカでは、大麻は禁じられる。研究の成果を見れば、お酒の方が危険だが、お酒を擁立する声はかなり強いので、現在のアメリカや日本では、社会的に認められる。

賭博も、やり始めたらはまってしまう傾向は人間によくあるし、財産をなくす恐れがあるので、将来に悪影響を与えかねない。性的な色欲は極めて強い動機になるので、抑制しないと社会を全面的に乱すことはある。

ただし、問題になる傾向があるからといっても、必ず悪いとは限らない。食物を食うことも、問題と繋がるし。この分野の規則は本人のための規則に過ぎないので、本人には更新する権力があるべきだ。今までの規則の形には問題があると感じるので、これからも論じたいと思う。


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