誘惑の対応

誰でも、誘惑に対応する方針を待たなければならない。その方針は「いつも誘惑の通りする」としても、それでも方針だ。課題は、惟神道の場合の相応しい方針はなんだろう、ということだ。それを決めるために、惟神道の理念を考えなければならない。誘惑の問題は、その理念の実現を妨げることにあるからだ。その上、誘惑によって決断が異なると予想できる。

まずは、惟神道で自己向上と創造、奉仕などが讃えられる。このようなことを実現するためには、時間も力も必要である。誘惑を追って時間も力も費やしてしまったら、達成できない。つまり、惟神道の中で、誘惑を抑制する側面は明らかに必要である。

確かに、理念に沿う誘惑もあるだろう。例えば、私は読書が大好きだが、読書が自己向上に貢献する。人生を占領させるわけにはいかないが、読書が多くなっても問題ではない。そのため、その誘惑を抑制する特別な措置は不要だろう。ある人は、読書の意欲は非常に強くて、本を読むばかりしようとすれば、その人は自分のために読書を避ける戒律を定めたほうが良いが、一般的に考えなくても良い。読書好きな私でも、誘惑はそれほど強くない。

一方、一般的に認められる誘惑は、問題になる可能性はある。賭博や麻薬は、理念と違う。このいずれかが人生の大きな部分を占めるようになったら、惟神道の歩みに大きな妨げになりかねない。一方、お酒は神事に重要な役割を担うので、少なくともお酒を禁じるべきではない。そして、お酒を一緒に飲めば、親睦が深まる場合もあるので、巧みに使ったら、絆を重視する惟神道に貢献さえできるのではないか。それを考えれば、お酒を義務にするべきではないが、直会で飲んでも一切問題はないとする一方、一人で飲むことを禁じたほうが良いのではないか。一人で飲めば、絆への良い影響は期待できないし、依存などの悪影響の恐れがさらに強くなる。そして、この掟を惟神道の一部にしたら、解除するために道を完全に離れなければならない。つまり、認めるが、制限する。

煙草を考えれば、状況は違う。神道の祭祀には伝統はない。それに、絆などに貢献しない。むしろ、集まった場所で煙草を吸えば、周りの人に被害を与える。(その被害の程度について議論があるが、被害の存在は疑われない。)惟神道の理念に妨げるばかりの習慣だから、禁じても良い。大麻や覚醒剤の場合、違法だから認めない。取り締まりは厳しいので、麻薬の内在的な影響を除外しても、惟神道の目標に達成できないことを誘う可能性は極めて高い。(法律を改正するべきだろうが、社会環境が変わったら惟神道の詳細も変わるのは当たり前だ。大麻が合法になったとして、伝統もないし、絆にあまり貢献しないし、酒ほどではないものの生活に問題を与えると言われるので、禁じられたままとしても良かろう。

つまり、理念を考えて、誘惑の細かい対応を決めるべきである。