春画の倫理

「春画」の言い方で、写真集も漫画も指すつもりだ。

まずは、法律で禁じるべきでもないし、制限するべきでもない。表現の自由の一部であるのは明らかだし、ヘイトスピーチのように人に恐怖を与えないので、難しい問題ではない。写真集の場合、作成に必要な行為のために制限することもあるだろうが、漫画の場合、その理由はない。特に、日本での性器の描きを禁じる規則には合理性は全くない。まさに色欲を起こす力は、性器の描きとあまり関係しない。

しかし、倫理的にはどう考えるべきだろう。まずは、倫理違反のことを楽しんでもらうために描写する行為も倫理違反だと私は思う。つまり、殺人は倫理違反だと思ったら(そして、そう思う人はほとんどだろう)、殺人を楽しむように作品を作るべきではない。これは制限になる。倫理的に、レイプの漫画は作るべきではない。

ただし、性的行為自体は悪質ではないので、厳しい制限ではない。では、なんでも良いわけ?

今回も、そうではないと思う。

問題は購入する方である。色欲を利用して買わせることは、自分の利益のために人の弱点を使うことである。これは、疑問に思う行為である。

(見られるのは悪くないので、写真集で撮影された人には被害を与えていない。確かに搾取される場合もあるが、創造業ではそのようなことは一般的である。アイドルには限るわけではない。)

法制は非常に難しい問題だし、一般的に商法についての問題だから、ここで扱えない。例えば、広告や宣伝の方法にも関わるし、商品の内容とも関係する。これで、春画が特別になる理由は、単純に色欲を利用することだ。つまり、すぐに弱点を掴むことにある。

では、商法を置いておいて、春画などを作成しようとするとき、倫理的にどうすべきなのだろう。

これで、まだ検討中だが、もしかして色欲を刺激する内容を超える内容を作成することは必要だろう。例えば、『セクレタリー』という映画はいい例になると思う。性的行為はあるし、主役の女優の裸も見える機会がある。それに、話で深い真理性を探ったり、裸などで芸術的な表現力を高めたりする。このような映画を作ったら、倫理的な問題は全くないと思う。アイドル写真集はちょっと難しいだろう。何かを見せようとする場合、そしてその「何か」が性的な魅力を越えれば、大丈夫であろう。ちょっと難しい問題だ。

一方、購入する側には倫理的な問題は一切ない。多く買ったら、惟神道の目的の妨げになるが、ちょっと買っても問題にならないだろう。倫理的に、つい買わないことやたくさん買わないことを何らかの形で保障した方が良いか、「1日を待つ」ぐらいの規則で良かろう。つい買っちゃう行動を防ぐことに足りる方針だろう。

性的行為の商売といえば、水商売もある。これは実により複雑だと思うので、次回ちょっと論じたいのだ。