結婚とは

結婚は、基本的に性的な関係ではないと思ってきた。むしろ、家族の基盤になる関係である。生計を一つとして、子育てで協力する関係であるので、長く続くし、すぐに解くべきではない。夫婦だけの関係ではない。もちろん、同性婚も可能だが、それも家族の基盤となるためだ。法律上の入籍と倫理上の結婚は別々だし。家族基盤としての結婚は、今の問題と直接的に関係しないが、さらに深い性的関係を認めるのだろうか。

ここでまだ考えているが、認められるのではないかと思う。この関係は、結婚の中で子供をもうけるための関係である。条件は、結婚していることとこの前の性的関係は少なくとも一回更新されたことである。つまり、お互いに強い絆を感じて、信頼感があることを前提とする。この誓いには三つの要素がある。

一つは、他の人と性的行為を行わないことである。この関係は独り占めを原則だけではなく、必要条件とする。その理由は、子供をもうけるので、お互いに子供が二人の子であることを確信するための約束である。

もう一つは、避妊法を使わないことである。子供を目指しているので、当然だろう。

最後に、相手の性的な依頼に応じるのは原則である。これは前回より強い。この前の段階では、一々事前に聞かなくても良いと決めたが、拒否しても倫理的に問題はない。この段階にしたら、二人とも拒否すべきではない。病気や痛みなどを理由に余儀なくされたら拒否しても良いが、約束を破るようなことである。もちろん、拒否する権利は失わないが、拒否すれば倫理的に違反している。これは拒否しない約束である。もちろん、相手を喜ばせる基本倫理には変わりはないので、事実上どのぐらい変わるかは分からない。

この関係は、1年間、または子供ができるまで続く。1年間が経ったら、自然に解除するし、子供の存在が確認されたら、ご祈祷を捧げて解除させるのは良い。それ以外、解除できない。もちろん、別居して、相手から隠れることはできるが、それは暴力などを原因とする余儀なくされた状態であると考えるべきだ。その上、1年が経たない限り、新しい性的関係を結ぶうのは倫理違反である。だからこそ時間制限がある。この関係は強い性的な約束をお互いに結ぶことだから、状況が悪くなっても簡単に解放されない。条件のため、気軽に結ぶことはできないが、責任は重い。相手が死んでも、1年間が経たない限り、新しい性的関係を結ぶのは倫理違反である。

もちろん、同性カップルもこの約束を誓うことはできるが、子供は設けられないので1年間の期間は確実である。(女性のカップルで人工授精で子供を得るつもりなら、この約束を誓わない方が良いだろう。)

この段階は必要かどうか、まだ考えるべきである。しかし、関係を重視すれば、自分の意欲に反対する約束をすることを認めるべきであるし、性的行為の場合もそうである。重要なのは、この約束は双方を同様に縛ることである。(ところで、時間制限を除けば、それは中世ヨーロッパの結婚観である。色欲に応じることは、夫婦のお互いの義務だった。)

性的関係の展開

前回描写したのは、性的関係を開始する儀式だった。その儀式で、関係が続く前提はないし、お互いに独り占めにする前提もない。双方が惟神道を歩んでいれば、最後の報告を二人で行うのは理想であるが、今のことしか示さない。

関係を開始したら、さらに二人切りのデートに行ったり、性的行為を行ったりするために、ただお互いに尋ねたり、改めて同意を得るだけだ。一人の相手と一回性的行為を行うと、より合理的に対応できるだろう。場合によって変わるが、もう儀式は不要だろう。

ただし、関係を深めようとすれば、それを表に認めた方が良かろう。色欲が問題起こす原因の一つは、関係の中のお互いの誤解なども多いし、別な人に対する色欲が湧いてくることだ。

だから、正式に一歩踏み込んだ関係を認めたいと思う。このような関係を結ぶ前に、現在の性的関係を相手に報告しなければならない。そして、相手の了承をいただくか、切るか。(普段は切ると予想なのだが、二人切りの性的関係を望まない人も存在するので、それは認める。)この関係を結ぶために、二人で神社でご祈祷を神職によって執り行ってもらう。この関係は結婚ではないが、ある程度公表する。家族や友達が参列しても良いが、それほど深い意味は持っていなければ、しなくても良い。ただし、他の性的関係を継続することとしたら、その相手は参列しなければならない。つまり、相手には拒絶権があるが、関係を切って新しい関係を結ぶことはできる。

この関係を結ぶ儀式を執り行う前に、二人で少なくとも三回神社で神前報告を行う。ご祈祷を依頼しなくても良いが、神職に知らせるべきである。この報告は、月替わりを二回渡る。つまり、最短は晦日、翌月のいつか、そして朔である。この間、倫理的に考えれば複数回一緒に性的行為を行うべきであるが、これは当然確認されない。これも、考える時間を確保するためだ。

関係の内容は主に二つある。一つは、新しい性的関係を開始しようとすれば、この関係の相手を最初の報告に添えること。そして、相手が拒否すれば、進まない。つまり、この関係は原則として性的にお互いに独り占めする関係である。絶対的ではないが、普段そうなる。

もう一つは、原則として相手との性的行為に同意すること。この関係を結ばない限り、毎回性的行為を始める前に許可を明言して求めるべきだ。先に性的行為に同意したからといって、今も同意するとは限らない。しかし、この儀式を経たら、原則としてこれからも同意すると約束する。場合によって拒否する権利は奪われていないし、相手の喜びを重視する倫理には変わりはないが、例えば相手が本を読んでいる間に後ろから近づいて、首の後ろをキスしたりすることは可能となる。

この関係を切るために、縁切りのご祈祷を行ってもらうのは基本である。結びは公表されるので、切りも同じである。原則として、二人でご祈祷するが、片方で行うことも可能である。しかし、その場合相手に神職を通して三回しらせるべきである。その三回は、月替わりの二回を渡る。神職経由のお知らせなので、相手と会いたくなかったら、会わなくても良い。

このような儀式の理由は、相手に約束したからである。すぐに思い浮かぶことは、片方は新しい性的関係を開始しようとするが、相手が拒否する場合である。その場合、即座関係を切って、新しい関係を追いかける許可を与えない方が良い。新しい関係を追いかけるのは、現在の関係が終わってから報告を行ったら倫理的に大丈夫になる。ただの浮気は倫理的に許されない。

しかし、この関係はいつまでも続くわけではない。原則として1年間続くが、その時点で二人でまた誓わないと、終わる。結婚ではないからだ。

そう言えば、結婚は何か。伝統的に色欲を制約するための措置だったので、惟神道でどう考えるだろう。

本格的な同意

本格的な同意を得ることは、惟神道では重視することである。なぜかというと、相手の自由を尊重するためである。倫理的に考えれば、相手は自分の気持ちや長期的な目的、倫理観や美意識を参考として、最終的に決断してもらうのは良い。もちろん、直感で決める人もいるので、それを許すのも相手の自由の尊重である。

多くの場合、自分の立場を冷静かつ客観的に説明してから、相手を考えさせるのは良い。相手にとって欠点になるかもしれない点も指摘するのは良い。しかし、性的行為の場合、色欲の協力のため、そう簡単にできるはずはない。実は、性的行為の場合、自分の本格的な同意を確保することも重要である。自分も、色欲に誘導されることもある。

一番重要なのは、時間と距離だろう。その場に即座に決めたら、色欲に流されることは多くなる。それを確保するために、儀式を導入する。

相手に性的な興味を持っていれば、相手に告白する前に、必ずその事実を神棚または神社で報告する。この報告は、一人でも良い。むしろ、一人でした方が良いだろう。この報告は、起床直後にすべきである。つまり、興味を持ってきてから少なくとも一晩が経ったし、相手がいない場所で考えた。報告してから、まだ相手に告白したい気分であれば、次の機会で告白しても良い。

相手に告白してから、答えをいただく前にまた神社や神棚で報告しなければならない。これも、起床の直後である。これで、また自分の考える時間を確保するし、相手の考える時間も確保する。

そして、相手の答えをいただいたら、また報告する。その後、相手は同意してくださったら、実行しても良い。結局、最初に思いついた方には3日間の考える時間があったし、相手には2日間があった。これでも、その場の潮流に流されることは避けられる。

この形式を考えれば、同意を2段階とした方が良いだろう。第1段階は、二人きりの時間である。二人での食事と夜の散歩などのことも可能だが、二人きりで登山したり、ゲームしたり、買い物したりすることも可能だ。この段階の後、興味はまだ持っていることを神前で報告してから、性的行為の意向を相手にわかりやすく示すが、性的行為はまだ行わない。また報告して、相手の答えをいただいて、報告して、最後に実行する。この形に従えば、初対面から性交まで、少なくとも7日間が経つ。人生の将来を決めるために足りないが、性的行為はそれほど重大なこととしないのは根本的な方針である。一方、流される可能性は低い。

その間、惟神道の基本方針の正直に従えば、自分のことを相手に示すのは当然だから、相手は自分なりに本格的に考えたと思える。最初の神前報告から、相手に一回も嘘をつかないのは倫理になる。普通の社会的な嘘も含まれているし、真実であるが相手の誤解を招きかねない文言も避ける。

確かに、1週間もない付き合いであれば、性的行為を禁じる規則になるが、それほど短時間の行為は、もしかして危ないのではないかと思う。つまり、これは問題ではなく、利点であると思われる。

性的行為の基本倫理

性的行為の基本状態は大人同士の性交であろう。ここで、法制はすぐに描かれると思う。強制的な行為を禁じるべきだし、同意に基づいた行為を許すべきである。

倫理はそれほど簡単ではない。相手が同意したからといって、全面的に肯定的に思えるとは限らない。

まずは、その同意を得た方法を考えなければならない。もちろん、その場での脅威は強制的な行為とみなされるが、問題になるのはそれだけではない。相手はちょっと酔っ払っている状態を利用することも、倫理的に問題視すべきであるが、違法とすることはできない。(ドロ酔っ払いは別である。もう同意できない状態であれば、同意に基づいた行為ではない。)同じように、相手を半分騙して納得させることも、違法とは言えないが、倫理違反であると思う。単純にその場の興奮に乗じてさせることも疑わしい。

一般に言えば、色欲の強さを認めるべきである。そのため、相手に考える機会を与えたり、長期的に行動を評価する機会を設けるべきである。つまり、はっきりどうしたいと言って、相手に考える時間を与えてから答えを聞くことは望ましい。その考える時間は、普通に一晩以上が良い。

ただし、この形は現在まだ無理だと思う。必要なのは、まだ性的な状態になっていない段階で、相手に「あなたと性的行為はしたい」という趣旨を伝えることだ。私の印象だけではないと思うが、そのような発言に肯定的に対応する人は少ない。女性は特に反発するのではないかと思うが、男性も反発する場合もある。そして、「ありがとうございます。ただし、私はそうしたくない」という答えも気軽にできる雰囲気も必要である。長く片思いを抱いて、ようやく告白できた相手にそう言ったら、精神的な打撃になる。

この問題を後回しにするが、基本精神は相手の真心の同意を得ることだ。相手は絶対後悔しないことは保証できないが、少なくとも相手は自分の決断が間違ったと思うことは目指す。誘うために、偽りや圧力を一切使っていないことは重要である。ただし、色欲は強いので、それを確保するために工夫は必要である。一つの選択肢は、誘ったら、一回寝てから実行する倫理的な規則だ。(一回目に限る。付き合ったら、その必要性がなくなる。付き合ったら、相手は原則として性的関係に賛成していることは明白であるので、その時点の意向を探る必要しかない。)

もう一つの重要な基本は、相手を喜ばせることだ。それは、相手をオーガズムを感じさせることに限らないが、それを基本とする。(ところで、日本語にはオーガズムの単語はないようだ。大事な欠如なのではないか。「相手をいかせる」かな。)つまり、自分の気分しか考えないことは、倫理違反とする。この点について、さらに論じる必要はない。その工夫を紹介する本は少なくないし、人によってやって欲しいことは違うので、原則しか言えない。一方、同意の問題は、さらに考えたいと思う。