受験勉強

真由喜がその年になったので、私立中学校の受験について考え始めた。どうするかはまだ決まっていないが、今のところ本人はやる気満々だ。私もゆり子も私立中学校の入学試験などについて情報収集を始めたし、方針について話し合っている。

しかし、私はもう問題に会っている。私立中学校に入学するために、進学塾で3年間の受験勉強をしなければならないそうだ。そして、1年間他の習い事を完全にやめなければならないという。これに対して、強い不信感を持っている。

まずは、私はイギリスで私立中高一貫学校に通った。(制度は違うが、一応それに相当する。)入学試験を6つ受けた。しかし、イギリスでは塾の文化はないので、その準備は数ヶ月に数回過去問を解いて、試験の形に慣れていった。だから、不信感の原因の一つは私の経験との違いであるに違いない。だが、それだけではない。根拠もある。

試験はそもそも目標ではない。試験の機能は、実力を証明することにすぎない。だからこそ、試験の設問は難しい作業である。この前、論理力を測る試験を設問した場合、問題の形について苦労した。そして、試験の設問の工夫の一つは、受験勉強を無効とする努力であるべきだ。つまり、測ろうとする実力を持っていれば、特別に受験勉強をするかしないかによって、結果は変わらないのは理想である。もちろん、その理想を実現するのは無理だが、なるべく近づくようにすべきである。そうしないと、試験に対する不信感を招くしかない。試験の結果は受験勉強の量しか測らないと疑われるようになると、第三者は信頼しないし、内部の利用も慎重になる。

この点は、例えば資格試験の場合明らかだろう。試験のみで取得できる資格の場合、例えば行政書士はそうだが、資格が法律の理解を表明することは望ましい。資格はただ行政書士試験に合格する力しか表さなければ、資格には意味はほとんどない。入学試験の場合、反論はできる。受験生の立場から見れば、合格すれば学校や大学に入れるので、試験での合格のみは重要である、と。受験生の立場から見れば、そう言えるだろう。確かに、学力は足りなくて、入学してから後悔することもあるだろうが、そのような残念な結果は多くの状況に見えるので、入学試験の問題に特化すべきではないだろう。ただし、学校側から見ると、入学試験には大きな問題があることになる。求める学力を測らずに、親の経済力や塾の通った回数しか測らない。この状況を放置する学校の教育方針は疑わしい。

つまり、狭い意味でとる「受験勉強」は最大1ヶ月で認めるべきだと思う。そして、私立中高一貫学校がこのような受験勉強を肯定的に思うとは思えない。それは不信感の根拠の一つである。

もう一つの可能性がある。それは、入学試験の内容が公立小学校の教科の内容を超えることである。入学試験はその内容に対する能力を正しく測るとしても、その内容を学ぶために「受験勉強」が必要となる。しかし、このような入学試験であれば、子供の教育の可能性がさらに家族の経済力と結びついてしまう。影響を受けるのは避けられないことだが、最低限に抑えるのは教育の観点から見れば理想的なのではないか。だから、私立中高一貫学校がわざとこのような試験を設置することは、信じ難い。

さらに検討するが、結局社会的な問題があることになっても、真由喜の場合、その問題と事実として向き合って進路を決めるしかないだろう。


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