非常事態の権力の帰属と範囲

非常事態条項案では、その権力を都道府県知事に帰属した。その理由の一つは、総理大臣に帰属しないことだった。宣言する人と権力をえる人は同一人物であれば、濫用の恐れが高まるからだ。しかし、そのような否定的な理由だけではない。都道府県知事にその権限を付与する積極的な理由もある。

日本では想定される非常事態は自然災害である。疫病も予想できるが、治安の急速な悪化は日本では少ないといえよう。災害に対応するために、その被災地の状態をよく把握しなければならない。東京から東北の対応を決めると、かみ合わないことは多いだろう。少なくとも、東日本大震災の対応には問題点はあったと聞く。都道府県自治は、その地域の情勢をよくわかるはずだ。少なくとも、よりよくわかる人は一般的に指定できないだろう。そして、都道府県の住民や企業とのパイプは太いとも言える。その人と協力したこともあるとも思われるので、緊急事態の下に関係を新しく構築する必要もない。もちろん、行政の行為の経験を持っているのは言うまでもない。つまり、都道府県知事は非常事態に対応する準備はできている。

そして、知事は、都道府県の選挙で当選してその役目に就く。地域の住民が知事を自治体の長として選んだ。非常事態に対応するために命令を出しても、基本的に民主主義に反しない。中央政府と地方の政治情勢が根本的に異なることは少なくないので、問題になることもある。「私たちはこの政権に投票しなかったのに、私たちの大事を処分しようとしている」などの反発は予想できる。

要するに、知事には能力も権利もあるので、対応を司ることには相応しい。

そして、権限の内容を見たら、かなり強い。憲法の一部を除けば、全ての法令を覆すことはできる。これは、非常事態は予想できない状態であるからだ。対応するために何が必要であるかは、事前に決められない。だから、ほぼ無限な権力を当事者に付与する。国内法だけではなく、条約を一時停止することもできることは同じ理由である。この権限は、すべて非常事態に対処するために行使する指定があるので、濫用は後日裁判で争うことはできるので、対応を可能とすることは重要である。例えば、疫病の場合、住民の屋内待機を強制的に強いることは必要となるだろう。県から出ることを制限する必要がある場合も予想できる。だから、憲法で保障された自由を侵害する必要もある。財産権は、がれきの撤去などのために侵害しなければならないだろう。ところで、第89条の制限を撤廃する理由は、宗教法人を通して支援できるようにするためである。宗教法人が対応に貢献できる場合、一般に国家が特定の宗教を擁護することを防ぐ規則によって妨げるわけにはいかない。

しかし、知事を批判する権利を制限してはいけない。拡大された権限を与えたからこそ、批判と反論を許さなければならない。確かに不適切な情報の流行りは災害の場合問題になるが、法的な制限には効果は期待できない。問題を起こすために嘘を普及する人は、違法にしても止めるわけはない。一方、SNSなどで普及に努める人は、不適切であるとは思わない。誤解などの情報に対応するために何かの機関は必要不可欠であるが、表現の自由を制限することは不要であるし逆効果もあるだろう。

このような考えに基づいて、案を提供した。

非常事態の濫用防止策

非常事態の濫用は恐るべきである。非常事態で、住民を行政の権力から守るための安全策の一部を撤廃するし、臨時的に民主主義を停止する措置だから、独裁的な政権を目指す政治家にとって、誘惑的である。もちろん、紙の数枚に過ぎない憲法は、弾圧的な政権を築こうとする政党を完璧に阻止できるわけではないが、少なくとも幅広い支持を得なければできない状態を形成することもできるし、自由かつ民主的な政権から逸脱することを明記させることもできる。だから、私の非常事態条項の多くの規定は、濫用を防ぐためである。

一番重要なのは、非常事態を宣言する人と、非常事態で権力を握る人を別な人とすることだ。宣言は、内閣総理大臣である。行政のトップがこのような重要な決断をするのは当たり前だと思う。一方、権力は県知事に付与される。だから、内閣総理大臣がその権力の悪用を疑えば、宣言しなくても良い。非常事態の必要性は明確であれば、宣言すると思われるが、微妙な場合、宣言しない方に傾けると私は思う。政治家は、別な政治家にそれほどの権限と脚光を浴びるのは必要な場合に限るだろう。

そして、非常事態の宣言は、内閣にも国会にも確認されなければならない。これは、恣意的な宣言を防ぐもう一つの措置である。非常事態宣言は、緊急事態に対応するための措置であるので、その承認は事後に求められるが、それはないと、なくなる。

さらに、非常事態を終了させる方法をたくさん確保する。行政も立法も司法も解除できる。当該県の県議会でも解除できるので、当事者にとって辛くなれば、中央政府はまだ擁立するとしても、解除になる。

一つの非常事態を一つの都道府県に限ることも、濫用の防止策である。全国的に非常事態にすれば、実際に47人が権力を握る。非常命令はその知事の裁量に任されているので、こぞって同じ命令を出す可能性は低い。自分の県の状態に応じて決めるに決まっている。一人が濫用しても、周りの県の例がそれを明白として、解除命令の可能性を高める。

最後に、終審裁判は司法に預かる。行政または警察官が現場の裁判を行う可能性は高いが、結局裁判で裁く。

このような構成であれば、まず総理大臣は自分の権力を固めるために非常宣言を使うことはできない。さらに、再選の可能性を高めるためにも使えない。注目を集めるのは、当該の知事であるからだ。その知事が総理大臣になる可能性は想像できるが、政権交代は民主主義にとっていいことだ。そして、県知事も濫用に慎重になると思える。非常事態の解除は、様々な機関ができるので、正当性を明白に維持しないと、権限がなくなる。一方、必要性も正当性も明白である限り、非常事態が続くと予想できる。それでも、一つの機関には必要性を感じなくなったら、終了になるので、最短な期間に及ぶことも確保できる。

このような構造を構築すれば、独裁的に濫用することは難しいが、適切に使うことには妨げにならない。その適切な利用について、後日書きたいと思う。