現人神と天皇の神道の中の地位

今日、Patreonの神道随筆のために、天皇についての草稿を書いた。現人神論を考えれば、実質的にヨーロッパの王室に対する態度とそれほど変わらないとの結論になった。天皇に対しても国王に対しても格別な尊敬は持たれていたが、ヨーロッパでは一神教が支配を握ったので、国王を「神」と呼ぶことはできなかった。根本的な違いは、それぐらいなのではないかと思ってきた。

より大きな違いは、天皇の神主の役割だろう。論文で、それが内容の過半を占めるようになった。ヨーロッパでは、中世に遡っても、国王と神父の地位ははっきり区別されたが、日本では同じになった。神道から見れば、これは天皇の極めて重要な役割なのではないかと私は思う。

そして、象徴天皇も神道でもあると思う。『神社新報』を読んで印象を受けたが、神社界では天皇が伝統を象徴する。ただし、その「伝統」を具体的に指摘すれば、「昭和元年」になると思う。江戸時代を見れば、譲位も女帝も存在していたし、宮中祭祀の形も現在と大きく異なった。『神社新報』で憂えられた伝統の多くは、明治以後終戦以前の伝統である。神仏習合を惜しむ人の存在を示唆する記事はあるが、神社界の大半を支配した吉田神道を惜しむ人はいないようだ。神社検定のため祭祀の歴史を勉強すれば、明治時代から大正時代までの間どれほど変わったかがわかるが、その前の祭祀への復帰を掲げる記事は少なくとも『神社新報』の紙面に許されない。

ただし、日本の歴史の鳥瞰図を見れば、昭和元年を「日本の伝統」の代表として選ぶわけはないだろう。西洋の影響は特に強かったし、珍しい帝国主義も重視されていた。確かに現代の「伝統」の多くは室町時代以降発生したが、日本の伝統を代表するのは、江戸時代なのではないか。それに、過去に束縛されずに理想的な日本像を構築するために、歴史を全体的に見たり、世界中の良例を選んだりするべきではないか。今日、たまたま混浴温泉の衰微についての記事を読んだが、それも日本の長い伝統で、西洋の圧力のために無くなりつつあるが、『神社新報』で混浴の保護を推薦する記事を読んだら、相当驚く。「伝統」を重んじても、重んじる伝統を厳選するべきだ。個人的に、帝国主義を捨てて、混浴を擁護したいと思うが、その両方は日本の歴史にあるのは否めない。

日本の伝統は均一的ではないので、伝統の要素を大量に取り入れても、「日本の伝統」と呼ばれないものを厳密に排除しても、多様な国の理想を立てることはできるに違いない。天皇を「伝統」の象徴として捉えることは、簡単なことではない。