構造的な迷惑

アメリカのような共生共存のやり方の大きな利点は、ある種の人には問題があれば、完全に無視することは難しい点である。自分の立場を強調し合うので、自分の感じる不便や差別をすぐに明らかにする。そして、そうすることは、社会的に認められている。もちろん、そのまま受け入れつ問題を解決するとは限らない。現在のアメリカを見れば、それは明白である。しかし、このような問題は感じられている事実は、知らない人はいないだろう。数百万人のデモがその事実を宣伝する。

日本の場合、迷惑をかけないように、自分の問題を他人にはっきり言わないのは原則である。そして、仮に誰かがそう言っても、社会的には不適切な行為であるので、退けることは比較的に簡単である。個人から発生する迷惑の場合、これも大きな問題にならないだろう。問題になる個人を避けたら良いし、それは迷惑をかけない原則にも従う。ただし、その迷惑は社会の構造から発生すれば、状況は大きく違う。

例えば、現行の民法で同性の二人は結婚できない。そのため、夫婦に与えられる利益も得られない。同性愛者にとって、これは大きな迷惑である。夫婦の相互権利は強いし、重要である。しかし、この迷惑は、同性婚に反対する人を如何に避けてもなくならない。法律が改正されるまで、迷惑が残る。法律自体が迷惑をかけている。憲法によって、この迷惑を訴える権利は保護されているが、そのやり方は定められていない。同性愛者はどうすれば良いのだろう。

例を変えれば、方法が見えてくるだろう。川崎市では、川崎市外国人市民代表者会議がある。この会議で、外国人市民は自分の体験する迷惑を挙げて、市長に改善を求めることはできる。この会議は、そうするために市によって設立されたので、会議の提言を提出することは迷惑にならない。2年に1回その提言が出てくることは、市長も行政もわかるので、対応することはただ業務の一環となる。そのため、市側はかなり肯定的に対応してくれる。市の管轄に入る提言であれば、すぐに解決に向けて動き出す。(簡単に解決できない問題も指摘されるので、何でもかんでも即時に解決してもらうわけではない。)

構造的な迷惑を退けるために、このような手続きや制度は必要である。選挙はその一例であるが、選挙で別々で問題に対応することはできない。全体的に国や自治体の状況を考えるしかできない。つまり、迷惑をかけない理想を徹底するために、構造的な迷惑を訴える制度は必要である。それは、法律が作る制度的な迷惑を含むので、裁判での手続きは足りない。立法との連携も必要である。それでは、制度があるとしたら、どのような関与をすべきなのだろうか。それは、次回論じたいと思う。