法律と迷惑

法律は、迷惑とどう対応すべきかは、重要な問題である。法律の重要な役割は住民の間の対立が自然に解決されない場合、その解決を命じることだ。迷惑の処分はそのことに当たる。つまり、刑法に当たることは少ないと思う。刑法に管轄される迷惑は暴力や窃盗などの大変な場合に限ると思われる。普段は、民法でやるべきことを定めて、必要に応じて強制的にやらせるか賠償させるかということだろう。

では、詳細はここで決められないが、その輪郭を描くことに試みたいと思う。

まずは、法律の関与をなるべく抑えるべきだ。法律の関与自体は迷惑になるからだ。そして、実際の関与だけではなく、関与の恐れも迷惑になる。特に、個人的に迷惑をかけない方針では、相手の気持ちに障ることも避けようとするが、法律はそれほど主観的なことを扱うべきではない。つまり、ある行為は嫌だという根拠に基づいて法的な処分を求めることはできない。原則として、その迷惑が自分の行動の自由を制限することを必要とする。自分の思うままにできないことは大きな迷惑になるので、これを基本として認めるべきだと思う。

この迷惑を退ける方法は二つある。一つは、国家が設置した制度などから発生する迷惑をなくすことだ。例えば、同性婚はできないことは、このような迷惑になる。そして、同性婚は認められないことで、同性愛者の行動の自由へ制限されているので、法的な処分の対象に値する。一方、同性婚に反対する人の気持ちはそれに値しない。同性婚を認めても、反対する人の行動の自由には何も支障はないからだ。気持ちが悪くなるのかもしれないが、それは法律で考えない。

もう一つの範疇は、民間人がやる行動で他人の迷惑になっていることだ。ここも、気持ちの問題は問わない。例えば、靖国神社での祭祀に反対する人の自由は一部たりとも制限されていないので、法律的に靖国神社の祭祀を制限すべきではない。

では、ある人がある芸能人に対して恋を感じて、あの人に結婚を強く請求するが、断れているとしよう。この場合、行動の自由は制限されているだろう。恋する相手と結婚できないが、同性婚の場合、それを大きな行動の自由の支障として認めた。裁判で求婚の受け入れを要求できるのだろう。できないのは当然だろう。結婚したくない相手の自由も考えなければならないし、美人の芸能人であれば求婚する人は多いので、皆と結婚できるわけはないし、大半の自由を制限しなければならない。結婚の場合、その関係を拒む人の自由を優先すべきだと思うが、より一般的な基準は必要。このような問題は、求婚に限らないからだ。

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