大人心游舎:5周年記念

今日、心游舎の5周年記念イベントに参加させていただいた。イベントは、明治神宮の参集殿で開催されたが、参加者は多くて本殿は遠くて工事中であるためだろうが、正式参拝はなかった。(イベントの後で、一人で参拝したが。)

このイベントは2部構成で、第1部では献花と歌舞伎囃子の演奏があった。生花は最初だったが、本当の意味で演出だった。舞台の上で、目の前で花士花士{はなのふ}が枝や花を組み合わせて、綺麗な生花を作成した。その後、同じ舞台で8人が長唄などを演奏した。それを聞いたら、先日和ものびとのイベントで楽器の説明を聞いたり、体験したりできたことは良かったなと思った。目的などが分かったので、より深く楽しめた。

第1部を言葉で描写するのは難しいので、しようともしない。このような体験ができて良かったと思う。

第2部は、心游舎の総裁の彬子女王殿下の講演だった。心游舎のきっかけから今までの活動を通って、現代の状況まで話してくれた。面白いエピソードも披露してくれた。例えば、後続の方は銀行口座を開こうとすれば、苗字はないことが壁になるようだ。心游舎の活動は必ずと言ってもいいほど『神社新報』に報道されるので、活動の概要はもう分かったが、詳細を聞いたり、彬子様のご感想を聞いたりしたら、より深く印象を受けた。

最後に、代表理事の方がこれからの心游舎の展開を示唆して、支援を呼びかけた。

いつもと同じように、刺激を受けた。

まず、第1部では、神社の祭りについて考えさせられた。(自分の趣味と結びつくことは多いね。)最近、神社も祭りも、神様に奉る作品として考えてきたが、献花も囃子もそのような供え物になると感じた。このことについてさらに考えたいと思うが、ブログで披露する可能性は高い。(その前に、英語で日本人に神道についての公演を行うことになったので、英語での説明が先になるだろう。)

第2部で、彬子女王殿下は心游舎の目的を日本の伝統文化のタネを蒔くこと、そして子供の生活に伝統文化を身近にさせることと位置付けられた。真由喜の生活でその成果を見たことがある。まず、心游舎のワークショップで作った湯呑みは真由喜の愛用品になっている。そして、私が他の機会で日本の文化を紹介したからかと思うが、例えば抹茶は大好きで、お茶をよく飲む。白いご飯もよく食べる。でも、結晶になるのは先日のエピソードだろう。

真由喜が学校から帰ってきた。「ダディー、今日は最悪だった。給食当番だったが、スパゲッティーを袖にこぼしたりしたし、他のこともあった。絶対祟り神だよ。お祓いして!」と玄関から上がる前に述べた。もちろん、お祓いをしてあげたので、落ち着いて楽しめた。

このようにタネを蒔くと、結果は出る。心游舎が太宰府天満宮の幼稚園で和菓子プロジェクトを行なったそうだが、心游舎が手を離しても、幼稚園が独自にプロジェクトを続けているそうだ。そのような結果があると素晴らしい。

そのようなことを見れば、近所の白幡八幡大神でワークショップを行うことはできるかなと思った。近所のイベントを子供の継続的な参加には良いし、近所の神社が親しくなると、祭りなどにも参加するだろう。確かに控え室も神楽殿もちょっと狭いが、近所向けのワークショップであれば、小規模になる。ただし、私は日本の伝統文化のワークショップを行うことはできないし、他人に頼むこともできない。この刺激は、もしかして実現されないままで終わるかもしれない。

とにかく、これからの心游舎の活動を楽しみにしている。真由喜が参加してくれるイベントは多いように願っている。

してもしなくても、悪

この世で、いい選択肢はない場合は少なくない。特に、ある状態に対して手を出したら問題になるので、出すべきではないが、一方その状態を放置するわけにはいかないので、何もしないとダメだ。例えば、他人の子が悪いことをしたら、叱るとその子の親の子育ての自由を侵すが、何もしないと悪いことを黙認する。その場合、どうすれば良いのか。

良い選択肢はない。何をしても、悪い選択肢を選んだ。

では、戸惑うべきだろう。

ここで、問題提起には問題があることに気づかなければならない。現実では、二つの選択肢しかない場合はまずない。他の選択肢は多くあるはずだ。そして、その選択肢の中、問題なくいいこともあるはずだ。実は、できないほどいい選択肢は多いに違いない。つまり、いいことを怠るしかない。いい行為の中から選ばなければならないので、なぜわざわざ悪いことを選ぶのだろう。

しないと悪いことはいつも多くある。現実に提供されている選択肢から一つのいい行為を選んでやれば、できることはもう尽くしている。

しかし、一番いいことを選ぶべきと反論する人もいるかもしれない。それは、一番いい行為を選ぶ余裕があることを前提とするが、ほとんどの場合そうではない。確かに、すぐに優先順位を見ぬけられる場合、優れる行為を選べば良いが、区別できない選択肢は複数あると思われる。その中から、自由に選んで、まだ意味があるうちにやると良い。してもしなくても悪い行為を最初から排除すべきである。

心游舎の神田神社ワークショップ

今日、真由喜と一緒に心游舎が主催した神田神社ワークショップに参加させていただいた。今回のワークショップは、去年12月に開かれたクタニシールワークショップで作った湯呑みを受け取るためだったので、原則としてその前にワークショップに参加した人だけが参加できた。湯呑みを渡すだけはつまらないので、お茶と和菓子を楽しむイベントとしてくれた。

心游舎のイベントだから、最初は正式参拝だった。作法の説明があったが、真由喜はちょっとつまらなそうだった。何回も参拝したことがあるので、作法はよくわかるからだったそうだ。参拝する前に、神田神社の境内で列を組んで、神職や巫女を先頭に拝殿まで行進した。天気は良かったし、日曜日だったので、観光客は大勢いたので、この行列の写真を撮る人はたくさんいた。殿下がお加わりになられたことはわかっていなかったと思うけれども。正式参拝には、巫女舞もあった。それは初めてだったが、子供が前に座ったので真由喜はよく見えたそうだ。

参拝の後で、拝殿の前で集合写真を撮ってもらった。もしかして、心游舎のフェイスブックにアップされるだろうと思うが、まだ入手できていない。

部屋に戻ったら、いよいよ待ちに待った湯呑みの箱を開けることができた。嬉しいことに、私の湯呑みも真由喜の湯呑みも持ち主を満足させた。やはり、このクタニシールはすごいので、ワークショップに参加する機会があれば、お勧めする。お茶は、心游舎が用意する九州で育った釜炒り茶だったし、和菓子は虎屋の和菓子だった。私たちが座っていたテーブルに、年長さんの女の子も座っていたが、真由喜はちゃんと先に和菓子を選ばせた。やはり、成長しているなと思った。そして、お茶の作り方は、その栽培を担当する方に教えてもらった。お茶は真由喜が特に楽しみにして痛そうだが、美味しかった。日本舞踊の教室へのお土産としてまた買ったし、うち用の追加も買った。

そして、飲んだら、虎屋の職人さんが和菓子の作り方を見せてくれた。子供達優先だったので、私はよく見えなかったが、真由喜は夢中になった。あんこそのままで試食もしたが、それは真由喜好みではないそうだ。

ワークショップの2時間で、真由喜は二人の友達ができたそうだし、とても楽しかったとも言ってくれたので、次回も参加させていただきたいと思う。ただし、次回は辞書引きのワークショップだったら、真由喜は遠慮するそうだから、内容を確認しなければならない。次回は工作のようなワークショップであるといいな。

阿蘇神社

雨の中、右には桜に見えるし、左には白い覆屋がある。
阿蘇神社の楼門の前。楼門は左の覆屋の中にある。
今月10日に、熊本県の阿蘇神社にお参りした。これは、応援参拝だったといえよう。被災地の復興にあまり貢献できないが、できることはやりたいので、東北と同じように、熊本に出かけた。真由喜の学校の関係で、一人旅になった。

9日の宿泊先は阿蘇の四季という旅館だったが、最高だった。部屋もお風呂も食事も素敵だったし、駅からも阿蘇神社からも簡単に歩ける距離だった。ぜひ、次回家族で行きたいと思う。

天気は生憎の雨だった。阿蘇神社を囲むカルデラを雲や霧の隙間からチラッと見えたに過ぎなかったが、それでも景色は綺麗だった。次回、晴れの日に見たいと思うし、駅で紹介された散歩道も歩きたいと思う。

雨の中、基盤が見えるが建物は撤去された。
阿蘇神社の拝殿があったところ。左奥に本殿の一つが見える。
現在、豊肥線は阿蘇から熊本まで普通になっているので、大分経由で行くことになったので、帰りの電車もお昼前に出発することになっていた。そのため、阿蘇神社への参拝は朝一番にした。

祈願祭は仮拝殿の中で斎行されたが、その仮拝殿の雰囲気は意外と良かった。床には玉砂利があって、素木の柱などがあったので、清々しい感じになっていた。祈願祭の一部は神楽だったが、この神楽には舞はなかった。その代わりに、太鼓での神楽だった。雅楽と違う雰囲気だったので、この神社で伝統がある神楽なのではないだろうかと思った。

祈願祭が終わったら、神職とちょっと話すことができた。拝殿の再建には4、5年がかかる見込みだそうだが、文化財である楼門の再建には10年程度になるという。やはり、文化財の価値を保護するために、まず解体して、そして丁寧に再建しなければならないので、予想には難しくない。復興の進歩を見るためにも、またお参りしたいのである。

ちなみに、電車から見えた九州の景色も大変綺麗だった。私は山が好きなのだが、九州の山の風景は魅力的だった。ちょっと遠いが、九州もさらに旅したいとも思ってきた。