男尊女卑の普及要因

改造計画はまだ進んでいるが、ただいまは多忙の時期になあってしまい、思うままに進んでいない。1ヶ月以上怠らないように、最近思いついたことを登校させていただく。

男尊女卑は歴史的な社会性であるが、それはなぜなのだろうか。一つの社会や文化に見つけても、説明は特に必要はない。曖昧のケースはあるとはいえ、男女の差異は明白だし、たまたま男性が社会の上位を独占するようになったら、その体裁を維持するのは当然だ。今まで大きな損害とつながっていない社会構成を維持することは、社会の存続を保障するための方法である。しかし、男尊女卑は一つの社会に限らない。普遍的である。男尊女卑ではない社会は、ごく最近を世界の少数派の国に限るといっても過言ではない。この普遍性には説明は必要。

考えなければならない仮説は、男性は自然に女性に優れることである。そうであれば、普遍性は説明できる。しかし、そうではない。現在の世界を見れば、男性に一切負けない女性は決して少なくない。男尊女卑の思想は強い社会を見ても、例外的な強い女性を見つけることも、能力の差に基づく現象ではないことを検証する。

では、要因は何?

現在の現象を見れば、重要なヒントを得る。女性に機会を与えれば、キャリアを道を開いてあげれば、その機会を生かしたり、その道を歩んだりする女性は少なくない。その結果、出産と子育てに専念しないので、出生率が落ちる。現代なら、それは好ましい結果である。人間の人口は最早多すぎるので、さらに増えることは避けたいのだからである。日本もそもそも同じである。自給率は5割に留まることは重要な証拠である。でも、現在の社会でも、問題はなくはない。総合人口の配分が変わっている間に、社会的な再調整は必要となる。年金問題と労働者不足の問題だ。

ただし、歴史的な状況を考えれば、問題はさらに深刻になる。昔の用事死亡率は高かったし、出産を原因とする死亡も少なくなかった。平均寿命も長くなかった。そのような背景で出生率が1.5などに低下したら、社会が1世紀以内滅んでしまうだろう。自然に人口が少なくなるか、人口は多い周りの社会に圧倒されるか、いずれかの方法で絶滅する。結局、生き延びる社会は、女性を子育てに専念させる社会に限ってしまう。

この仮説は正しければ、歴史には短期的に限定された地域で女性の品格が認められた社会を見つけるはずであるが、すぐに潰れてしまう。

これは正しければ、男尊女卑は正しいという意味ではない。現実は厳しくて、するべきことをすれば大きな問題が発生することは少なくない。過去には仕方がなかっただろうが、今は違う。男性の能力と女性の能力には差があると信じる理由はないので、平等な社会を築くべきである。その中で、人口を維持するための出生率を確保する政策を模索するべきでもある。それに失敗すれば、男尊女卑の社会にまた陥ってしまうので、これも重要な課題にすべきなのではないか。幸い、人口はまだ多すぎるので、試行錯誤のための時間的な余裕がある。気候変動の問題の方が急務だろう。とりあえず、人口の現象を実現して、気候変動に対応して、そして出生率を男女平等を保ちながら2.1に戻す。

それだけか。