Ars Magicaの監督を退任

先日出版社のAtlas Gamesによって公表されたが、今年末をもって、Ars Magicaの監督を退任することになった。14年間この仕事を続けてきたので、かなり大きな節目になる。Ars Magicaにとっても大きな変更になる。

退任する理由は簡単に言える。やりたかったことはやり遂げたからだ。Ars MagicaというTRPGを私が読みたかったゲームにしたり、遊びたっかたゲームにしたりした。これから続けば、もう興味のない本を出したり、今までできた作品を損じるだけだと思う。(まぁ、正直に言えば退任を決断した3年前から、1年分の本のアイデアができたが、3年間で1年分は明らかに足りないので、タイミングは良いと思う。)

これが公表されたら、Ars MagicaのBBSでファンの方々が暖かい言葉を贈ってくれた。たくさんと言いたいが、20人ぐらいに上っているだろう。北川景子さんの場合を考えれば、20人はポストの20秒以内の量だから、確かに多くない。しかし、Ars Magicaはそもそも大衆の関心をひいていないので、大勢の人がコメントしてくれるはずはない。量より質を見れば、やはり私が出した作品を楽しんでくれた人はいる。そして、協働してくれた作者の多くも、この計画は楽しかったし、遣り甲斐があったと書いている。作者にたくさんの努力を課したので、報われたと感じていただき、安心で嬉しい。

これから、Ars Magicaの最後の仕事が残っているが、Kannagaraに移動することになる。昨日、Kannagaraの執筆に進歩したので、新しい計画が進んでいると言えよう。

後日、この経験を省みるつもりだが、今日は、このちょっと短い投稿で公表されたことに応えたいと思う。

2014年を顧みる

2014年がもうすぐ終わる。今年を顧みると、何が記憶に残るだろう。年末から見ると、一年はかなり長いので、記憶に鮮明であるのは先日の北川景子さんのイベントだが、一年にたくさんの思い出があるはずなので、もう少し前を考えよう。

3月ぐらい、神宮へお参りして、外宮の旧宮に入らせていただいた。去年のお白石持ち行事と合わせたら、内宮と外宮の両正宮を見ることができた。20年に一回しかできない体験だから、できてよかったと思う。神道の事と言えば、7月の植樹祭と金華山での参篭もよかった。植樹祭は、東日本大震災の被災地の復旧への具体的な支援にもなったし、見えた神楽も素晴らしかった。そして、それをまたがって神社検定があった。6月に受験して、9月に(確か)合格の通知表が届いた。感想をたくさん書いたので、ここで詳細に触れないが、かなり達成感があった。受けてよかったと思う。

そして、時の流れに戻れば、4月に真由喜が小学校に入学した。それ以来の成長はすごい。年齢もあるし、周りの子供の刺激もあるし、幼稚園と違う環境だからと思う。先生によると、問題はないそうだ。真由喜が真面目に勉強するし、間違えれば落ち着いてわかるまで頑張るそうだ。その年齢で、私が間違えたら全く落ち着かずにパニックに落ちいてしまったので、真由喜は私より安定しているようだ。それに、真由喜の友達は多いようだし、親友もいるので、学校を楽しく通っているらしい。私は、個人面談に参加したり、読み聞かせのために学校に行ったりしているので、学校内の状況はよく想像できるし、真由喜から学校の話は聞く。

また4月のことだが、真由喜が日本舞踊を再開した。去年の10月から止めたが、今年になったら、やはりやりたいと言った。先生が再開を許したので、今私が日本舞踊を担当して、真由喜を連れていく。真剣に練習できるようになったし、長く集中できる。最後の挨拶の時に私に甘えるが、お稽古自体はちゃんとする。一旦止めさせてよかったと本当に思う。そのお陰で、真由喜が自分のやりたいことを把握して、私が無理矢理させたことではなく、自分で選んだこととして考えているようだ。

真由喜と一緒の旅行を春と秋に行ってきたが、真由喜はそれをチャート家の古からの伝統として考えているようだ。それもよかった。真由喜と一緒の2泊は、私たちの絆にも良いし、ゆり子の休憩にもなると思う。その上、夏に家族でイギリスに行ってきて、私の母と時間を過ごせた。それも大変よかった。編集の仕事関係の方とも会えたので、充実した旅行だった。

それでも、今年は家族のことはまだ満足していない。必要最低限はできていると確信するが、必要最低限は目標ではない。引き締めて、来年に向かう。

家族との時間に邪魔をするのは仕事である。もちろん、仕事は必要であるが。今年の大きな変化は、5月末に日本論理検定協会を事実上退職したことだった。関係は完全に切れていないが、毎週通うことはなくなったし、他の仕事がメーンになっている。正直に言えば、それはよかった。計画の目標は今でも賛同するが、何かが私に合わなくて、かなりの負担になった。今でも完全に復活していないだろうと思うが、かなりよくなった。

その仕事を辞めたら、他の仕事がさらに必要となるが、英語を教えることは主役になっている。今も生徒さん募集ですので、ご興味を持っている方、どうぞ。編集と執筆の仕事は、満足ではないが、維持するための必要なことができた。

川崎市での活動にも変更があった。3月末に外国人市民代表者会議の任期が終わったが、4月から多文化共生施策検討委員会の委員になった。外国人市民の実態調査の結果を待つことになったので、今年度はまだ一回しか集まっていない。来年から活発になると思う。調査といえば、ワーキンググループに入ったので、調査の作成と結果の分析と報告書の政策に関わった。今回のアンケート調査の分はできたはずだから、来年度、面接調査の予算が出るかどうかを待つことだ。

つまり、今年は重要な変化があった一年で、次の目標のための準備になっていた。大満足であるとは言えないが、無駄な一年間ではなかった。

そして、年始には抱負をブログで公開した。その結果はどうなっただろう。

防災準備は、かなり進んだ。家具の固定はできる範囲までできたし、防災グッズも蓄えた。食品はまだ不足しているので、完璧ではないが、進んでよかった。

Kannagaraは完成から程遠いし、Tamaoの修正には着手さえしていない。これは今年を大満足できないの理由の一つである。

神社検定壱級に合格した。その抱負は完遂した。

家族と仕事の均衡について、進歩した。改善はできたと思うが、まだまだ改善する余地が残る。

新しい社会貢献は見つけた。調査と多文化共生施策検討委員会はそれである。委員会だけになったら、ちょっと余裕があるだろうが、今年はできる範囲でしたので、この抱負もOKだ。

追加抱負の長い散歩は中途半端。できたが、月一回のペースにならなかった。それは、ちょっと事情によってなくなったので、特に気にしない。

最後に、このブログである。怠らずに続けてきた。内容をより充実にさせられたかどうかはわからないが、事前に投稿を作成するようになった。この抱負は、私なりに完遂したと思う。読者はどうお考えになるかはわからないが、これからもどうぞ宜しくお願いします。

八つの中で、三つは成功、三つは進歩、二つは失敗。自慢できる成績ではないが、絶望する状態でもない。今年を基盤として、来年に向かおう。

さて、良いお年をお迎えください。

悲しい話について

先日、真由喜が悲しい絵本を読んで、泣いた。私は、悲しい話を読むと、泣かないが、楽しまない。それに、悲しい話は書きたくない。理由がある。

私の場合、話を楽しむために、登場人物と共感しなければならない。関心はなければ、なぜ読んでいるかがわからなくなる。だから、話が悲しくなったら、悲しみを感じる。登場人物は実在しないものの、悲しみは本当の感情だ。そして、悲しみは好ましくない感情である。なぜ、娯楽としてよくない感情に自分を晒されるのかと聞いたら、答えはない。

「現実の世界には悲しみは多いので、そのことを認めるべきだ」と答えるだろう。それとも、「小説で好ましくない現実を紹介すれば、人が現実の問題と取り組むようになる」とも。それはそうであろうと認めるが、それでも、私は悲しい話を読みたくない。現実の世界には悲しみがあることは、40年以上の人生でわかったし、それにいつもニュースを読むので痛感する。その上、現実の問題は、現実についての情報に基づいて把握する。小説は、話がよくなるために現実を歪める。それはフィクションの役割だから、小説を批判する根拠にはならないが、現実の問題について知識を得る方法としてはよくない。

それに、動き出すように刺激されても、フィクションの中の悲しみについて何もできない。もちろん、新しい話を作ることはできるが、もともとの話の悲しみを抹消するわけはない。現実は違う。一般人として全ての悲しみを消滅できるはずはないが、和らぐために何かできる場合は多い。単純な寄付でもできる。

そして、純粋に悲しい話は書きたくない。途中で悲しいことがあるのは話の流れに必要だろうが、話の終わりまでにその悲しみを乗り越えて、良い生活を築く話は良い。これに、二つの理由がある。一つは、上記の通り、私は悲しい話が好きではないことだ。作者は、自分の嫌いな話を作成しないほうが良いとよく言われる。情熱はないし、そのような話の良い展開は実感できないからだろう。そして、執筆の労働がさらにきつくなるはずだ。

もう一つの理由は、読者の立場から考えることだ。現実的な問題を描写して、そしてその問題が悲劇に終わる話を見せれば、絶望を招くのではないか。この問題について、何もできないとの印象を残すかと思う。一方、問題も解決も描写する話は、希望を与えられる。このような問題と取り組めば、解決できる、と。このような役割を果たすために、解決は現実的でなければならない。ただし、「現実的」は、話の中で現実的という意味だ。魔法がある世界であれば、魔法を使って問題を解決しても良い。人間のような存在の真摯な努力を描くのは必要条件だろう。

だから、私の描く話やTRPGで、悲しい出来事はあるとしても、最後までにその悲しみを乗り越える。

グランド・トライビュナル

イギリスの旅についての最後の投稿になる。仕事関係の用事があったが、それはArs Magicaの大会のGrand Tribunalに出席することだった。

「大会」と言うが、二十数人しか出席しなかった。TRPGの中でも、Ars Magicaはメージャーではない。それでも、出席者は七ヶ国から来たので、国際的な大会にもなっていた。この大会は8年間続いてきたし、私の参加のは三回目だった。(イギリスに行く必要があるので、毎回参加できるわけではない。)だから、前に会ったことがある参加者は多かったが、私にとって新しい人もいた。

私はもちろん有名人ではない。しかし、この大会は、私が10年間以上監督したTRPGのための大会だから、参加者は皆私のことを知っている。ちょっと不思議な経験だ。二十数人だから、私と話したがっていた人の皆さんと話せたと思うが、私が監督するゲームを楽しむ人と話すことは大きな励ましになる。無駄な努力ではない。

そして、Ars Magicaをする機会にもなる。日本で遊ぶ機会は少ないので、相当楽しめた。それに、参加者に私の予定やArs Magicaの将来についてちょっと話すことができた。このようなコミュニティがある経験は凄く良い。

来年行けないかなと思うが、また行きたいと思う。