愛国心

イギリスのGuardianという新聞によると、日本の学校で愛国心を教えるつもりだそうだ。これは、やはり日本を滅ぼす謀略ほか何もない。ちょっとだけ考えたら、すぐ分かるだろう。学校で無理矢理勉強させてしまった科目が当然ながら大嫌いになる。科学も同じだし、数学も代表的だ。日本と言えば、学校のせいで英語が嫌いな人は少なくはないだろう。だから、愛国心を教えようとしたら、間もなく日本の子供が愛国心を一層失うはずだ。

それはともかく、態度を教える方法は何だろう。「日本は素晴らしい」と何回も唱えたら、子供が飽きるだけだ。他の国の悪口を言うつもりはないそうだから、日本を褒めるしかないようだ。効果があるはずはないといえよう。

愛国心というのは、もし「わが国は一番だ。他の国の文化も民俗も軽蔑すべきものだ。」という意見を指したら、厳しく批判すべき態度だ。一方、自分の国を愛する気持ちを指したら、悪くはないだろう。が、どうやって国を愛させられるだろう。 人に例えれば、分かるのではないか。

先ず、外見が眩しく美しい人がよく憧れられている。国なら、景色や都市や芸術が美しければ、憧れを集めるだろう。日本の場合、景色も芸術も美しいが、都市は、何という、いまいちだ。おまけに、殆どの子供が都会に住んで、見にくい背景しか見えない。

そして、恵みを与えた人も愛されている。国から恵まれた人が国を愛するかもしれない。が、忘れられないことは、与える人が恵みだと思う物ではなく、もらう人が恵みだと思う物に限られている。もらう人が権利として捉えたら、損害として捉えたら、愛を招く力は全くないといってもよい。感謝も愛も強制的に引き出せないこと。

その上、国や国民の青年に対しての態度も関係があると思う。最近イギリスで新聞も政府も青年を批判するばかりだ。そういう環境の中で青年の愛国心が弱くなったら、びっくりするほどはないだろう。言い態度の一部分は、「国を愛する義務があるよ」と言わないことだと思う。よく人か会社か国を愛するように言われたら、かえって抵抗感が強くなることは多い。

どういうふうに愛国心を育てたらいいだろう。先ず、愛らしい国を創造することなのではないどうらか。あれは、経済力と関係あるが、それだけではない。青年が国を平等に感じたら、愛国心に誘う。そして、国の美しくて素晴らしい行動を見せたら効果があるのが否定できないだろう。その行動は、歴史上のお寺とか祭なども含まれ、先端技術の進行も含まれ、世界の貧乏な人や被害者を助けることも含まれている。海外で戦ったら、敵国を憎ませないと、かえって愛国心に毒になる。イギリスのイラク戦争がそうなりつつある。外国人を憎ませることは批判すべき行動だから、するつもりはないはずだ。

そうしたら、本当の愛国心が生まれるかもしれない。ただ、本当の愛国心は、自分の国を批判することを禁じない。むしろ、国に問題をみたら、国を愛するからこそ、指して批判しなくてたまらない。その上、本当の愛国心は、あの国で生まれた人に限られていない。移民は勿論、外国に住んでいる人もあの国を愛するようになる可能性もある。愛国心は、そういう人を歓迎しないと、まだ未熟な愛国心といえよう。

両親

今日もう一度ブログを書きたくなった。どうしてかというと、北川景子さんがブログで御両親について書いて、考えさせたからだ。確かに、細かい所を見ると、私の経験と北川さんの経験がかなり離れているが、両親の大事さは共通点だ。

私の反抗期は、結構早かった。8歳から11歳にかけてと言っていいだろう。そのとき、私自身も本当に反抗したくなかったが、どうやって人の希望や期待に応じるかと全く分からなかった。だから、私の好みの通りにならなかったら、怒ったり、文句を言ったり、泣いたりした。 今、20年以上の過去だから、母と一緒に振り返って話したことがある。

やはり、母も大変だったそうだ。私がどうすればいいかと分からなかったと同じく、母も私を扱う方法も分からなかったようだ。それでも、私にも怒りを表したことはほとんどなかった。少なくとも、思い出せない。確かに、いつも冷静だったとは言えないが、叱られた気持ちはなかった。それより、「この状態は問題だ。解かなくてはならないが、どうやって解こうか。」という気持ちが伝えてきた。

そして、私に自分の人生の道を自由に選ばせた。それ以上、何を選んでも、応援してくれた。確かに、長い間悩ませる道を歩まなかった。「ケンブリッジ大学に行き、科学を勉強したい」という子供は、なんといっても悪夢の子供ではないだろう。が、学修の最後の年の途中で専門を全く変える(科学から哲学に)とか、日本に行ってしまい、日本人と結婚し、日本に長い間住もうとするなどは、もう少し辛いかもしれない。その状態でも、両親が支えてくれた。それはお金はもちろん、アドバイスもしてくれたり、問題を聞いてくれたりした。

そして、問題があったとき、いつも両親と話し合えた。彼女に振られたとき、試験の結果はが通りではなかったとき、応募した仕事に落ちたとき、いつも話した。解決できる問題を解決してもらったが、大人になると、否、子供のころからも、両親に解決できない問題が多いので、そういう時には支援や応援は一番だ。一人でなかなか背負えない問題は、両親が肩を持ってくれたら、もう少し軽く感じる。

今住む場所が遠く離れているものの(父はアメリカに住み、母は イギリスに、私は日本に)、まだいつも支えてくれる。結婚を祝ってくれたり、妻を大歓迎してくれたり、出来る限り幸せにさせてくれたりするように見える。本当にいつもありがとうということだから、私も両親を支えて差し上げたくてならない。まだあまり必要ではないが。母のパソコンの問題を解決するぐらいだ。でも、将来にも捨てるわけはない。それは、義務ではない。本当の愛と感謝から生まれた本音だ。

私も、子供ができたら、同じように支えたいと思う。

乳幼児教育

今朝、フジテレビのChoiceという番組で、乳幼児教育についての紹介があった。母親は、1歳未満の乳幼児を英語などの授業に行かせるという。これは、本当にいいのかなと思う。

先ず、効果があるか疑っている。1歳未満の乳幼児は、日本語さえできないので、英語を教えるのは無駄だろう。乳幼児は、成長した人間のような存在ではないので、教え方も違うはずだ。

そして、損害にならないかも疑っている。幼いころには、遊ぶのも大変重大だそうだ。遊びは、単なる遊びだけではなく、社会的な臨機応変を磨く為の経験だといわれている。学んだ内容は明らかではないが、人生のために必要不可欠だ。

一方、子供と一緒に遊んだり新しい環境に触れたりするのはいいと言われている。授業は、確かに、新しい環境だ。しかし、乳幼児には、乳幼児なりの経験をさせたほうがいいと思う。集中力はまだ弱いし、記憶力も大人、否、小学生のような力ではない。遊びのように見えるわざと構成された「授業」がいいかもしれないが、授業のように見えることを避けたほうがいいと思わないわけにはいかない。