重複国籍

次の政策は、前にも論じたが、重複国籍を認めた方がいいと思う。もちろん、私には利益がある。日本が二重国籍を認めたら、日本に帰化してもイギリスの国籍を捨てる必要はないので、帰化する可能性が高まる。他の在日外国人にも同じ考えがあってもおかしくない。しかし、外国人には参政権はないので、外国人の希望に応える必要はないだろう。

先ずは、重複国籍を認めたら、外国人参政権が事実上不要になると言える。私は、基本的な哲学から考えたらまだ与えるべきだと思うが、重複国籍が認められたら、投票するために帰化してもいい。母国の国籍を放棄する必要はないので、投票したかったら帰化しろと言っても、大変な問題にならない。勿論、アメリカのように永住許可を持つ人に原則として帰化させる方針は前提だが、原則として問題がある筈はない。なぜなら、永住許可でもう一生日本に住んだり働いたりすることはできるので、永住許可を与える前に日本の国益に貢献するかどうか確認したと思わざるを得ない。つまり、「投票したかったら、帰化しろ」と自由に言う為に、帰化する選択肢は現実的である必要がある。母国の国籍を放棄する義務を付けたら、大きな壁がある。

そして、日本人にも有利だ。日本に住んでいる日本人は別に関係ないと思うが、海外に住む日本人には問題だ。住んでいる国の国籍を得て、社会に参加したい日本人がいるが、そうすれば日本の国籍を放棄するしかないので、躊躇する日本人は少なくない。そして、日本の名誉にもなるだろう。「日本人」のノーベル賞受賞者の一部は実は日本人ではない。アメリカで研究を進めて、帰化したので、もう日本国籍はないからだ。だから、国際化が進む中、重複国籍を認めることが多くの日本人の利益になる。

国際的に見たら、イギリス、アメリカ、カナダ、フランス、イタリアなどの先進国が重複国籍を認めるので、外国人参政権のような稀なことではない。そして、重複国籍を認める国家が崩れなかった。だから、重複国籍を認めても国家の破滅を招かないことはもう明らかだ。そういう風に訴えたら、単純に自分の無知さをばらす。

では、私が言われたことは、「チャートのような外国人は大丈夫だが、中国人について慎重にしないと」だ。私は、中国人は人間として別に私と異ならないと思うが、日本人の意見がすぐに変わらないだろう。それでも、問題はない。中国が二重国籍を認めないそうだから、中国人が日本に帰化すれば、日本が重複国籍を認めても、中国国籍を放棄する必要がある。

重複国籍を認めることは、世界に寛容で積極的な態度を表す方針だと思うので、日本に相応しい。そして、日本人にも日本に住む外国人にも有利だし、大きな問題も予想されない。財源も不要だ。だから推進する。

無駄遣いの削減

無駄遣いの削減はよく唱えられている。与野党が一致して、メディアでも必死だ。「だからこそ」と言ったらへんだろうが、私が慎重に思う。

確かに、完全な無駄遣いがあれば削減すべきだ。例えば、完了が一万円札を箱に詰めて、崖の上から海に投げ捨てたら、それを止めさせなければならない。同じように、トイレの壁紙として一万円札を使ったら、それもNG。しかし、さすがに日本の官僚でも、このような無駄遣いをしないと信じる。

むしろ、無駄遣いというのは、不要な道路を始め、必要はない施設を設立することを指す。不要な公共事業は主な形なのようだ。だから、工事に人を雇うことがあると思わざるを得ない。乱れに”無駄遣い”を削減したら、その人が失業する。そして、地方で行われる公共事業であれば、村の共同体の経済的な支柱が無くなる可能性も見逃すわけにはいかない。危機の解決の巽を弱者に背負わせない方針に背く恐れを認めざるを得ない。

一方、S&Pの信憑性はともかく、財政危機は現実だし、美しい日本をコンクリートに葬る方針を永遠まで続けるわけにはいかない。だから、どうしたらいいのだろう。

ここで具体度がちょっと足りないが、それは政策が対象地域に合わせる必要があるからだ。先ずは、一年間で地元の人を一人か二人不要の公共事業から転職させて、その地域に相応しい経済的な支柱になりそうな産業を検討させる。このことに、プロのサポートやフォローも必要だが、中心を地元の人にすることは重要だ。東京に強いられた解決策に抵抗感が湧いてくるからだ。

そして、二年度目に、指摘された産業に必要になる能力を身につける為に、地元の人を雇う。要するに、授業料も生活費も政府が出す。この財源は、公共事業の削減から取る。養成を受ける人を建設などから解雇するので、財源が得られる。適切な産業といえば、農業も観光も入ると思えるので、農場の効率を増す技術を研修することや民宿の経営に必要な衛生などに関わる技術の研修も思い浮かぶ。しかし、それだけではないと思う。どんな地域でも人材を活動させて、経済的な基盤を多種多様にする方針をとったほうがいい。

さいごに、三年度目に、技術を得た人に無利息の融資を提供して、自立した小規模な会社の設立を促す。大手会社がコスト削減のためにリストラする恐れがあるので、地元に限る会社を対象にするべきだと思う。

四年度目から公金の援助が終わるので、ここの原則の5年間以内成果が期待できる。

では、背景はいかがだろう。必要な財源はあると思った方がいい。なぜなら、公共事業を削減しても、サポートするプロの人件費も必要になるし、授業料と生活費の合計が給料と経費の合計を上回る可能性もある。しかし、必要な財源の大半を公共事業の削減から得るとも思えるので、大きくないし、それに四年度目から政府の出費が急に減る。

そして、反発の問題だ。対象の地元には反発はあまりないと推測する。地元の人たちが選んだ産業を興すために政府が援助することだし、地元の人も不要な道路を別に欲しくないはずだ。仕事が欲しいが、環境破壊せずにできれば、そのほうがいいだろう。

予想する反発は、官僚の一部のみだ。なぜなら、財源が先ず省庁の間に移るので、予算を失う省庁が猛烈に反発するだろう。予算を受ける省庁は大歓迎になることも予想し難くないので、特に為政者の資格はなくても、政治家がこれほどの反発を乗り越えられるだろう。今の官僚バッシングほどではないので、現在の政治家に期待しても、必ず失望に終わるとは限らない。

つまり、無駄遣いを減らす必要があるが、その削減の影響や波紋に配慮する必要があると述べたい。

所得税増税

人気のない政策だろうな〜

昨日米格付け会社のスタンダード・アンド・プーアズが日本の国債を格下げした。理由は、財政再建は2020年代半ばまで見通しはないということだった。厳しい判断だが、来年度二年連続に国債発行額が税収額を上回る異常な状態が進む中、合理性があることは否めない。だから、唯一の何より優先するべき問題ではないとはいえ、財政再建は日本の政府の急務であるのは明らかだろう。

歳出を削減する一方、造成することも必要だろう。私の考えは、財政再建の為に社会の弱者を犠牲にしないことは最優先するべく政策の分配に配慮しないといけないことだ。消費税は、収入の消費に使う割合が高い低所得者に特に重くなる現状に踏まえて、消費増税に慎重に思うが、小幅であれば必要だろう。併し、増税の支柱を所得税に置いたほうがいいと思う。

具体的に言えば、国民の内に一番低い低い年収を得る三分の一に税金の賦課を今のままにするべきだと思う。実は、減税には効果があるが、これほどの危機で減税しないほうがいいだろう。そして、真ん中の三分の一に税額が平均で5%で増えるように控除や税率を調整して、その上の六分の一に平均で10%で税額が増えるように、そして最上の六分の一に平均で15%で。(なお、税額をその率で上げる、税率を同じ率で上げることはない。中層の場合、今の税率は事実上20%程度だから、5%で上げたら、21%になる。)仮清算したら、所得税の収税が10%ぐらい増えるだろう。なぜなら、最上の六分の一の税額が最下の三分の一の税額を大きく上回るからだ。

これは財源だから、その面では問題はない。高所得者が強く反発することは予想できるが、低所得者や中層には強い反発はないだろう。後者は国民の大半だし、政治家の使命は、前に言った通り国民全体の利益を目指すことだから、この大半を味方にして高所得者の自己利益を守ろうとする運動を封じることができるだろう。ところで、国会議員が最上の六分の一に入ると思うので、自分が避ける犠牲を強いることはないため、アピールできるだろう。

確かにまだ不況だから、23年度に導入しない方がいいだろうが、24年度のために備えたほうがいいのではないか。財政再建を延期すれば延期するほど難しくなるので、なるべく早く着手すべきだ。

死刑廃止

重要な政策のひとつは、死刑廃止だ。理由はいくつかある。

先ずは、冤罪があることは重大な理由だ。間違えて無罪な人を刑務所に送っても、間違いに気づいたら解放して損害賠償を与えることはできる。一方、死刑にすれば、何もできなくなる。大変な犯罪を犯した犯罪者の人権はともかく、無罪の人が国家に殺されないように保障するために、死刑を廃止する必要がある。最近検察側の間違いや証拠改竄のことが多発したので、これは空虚の机上の問題ではない。だから、先ずは、市民を守る為に死刑を廃止する。

そして、犯罪は如何に酷くても、死刑を科すべきではないと思う。殺人は重い犯罪であればあるほど、国家が殺人を避けるべきだ。人を殺したからこそ犯人と看做すので、国家がわざと人を殺したら、国家も犯人だと言えよう。悪質な行為を罰するために、その悪質な行為を真似するべきではない。もちろん、懲役や禁錮を科すべきだが、様々なことを配慮して拘束するのは悪徳なことではない。

別な立場から見れば、国家が人を捨てるべきではないと私が思う。国家や社会が市民の皆を一人ひとり育て、成長できるような環境を整えるべきは、渡すの強調したい意見だ。殺人を犯した人の優先順位は確かに低いが、少なくとも殺さないことは基本だ。刑務所で人の成長に努めた方がいいと思うが、そうする前に一般の社会人の環境の整備に尽力する必要があるだろう。だが、人を殺したら、刑務所の環境を改善することになったら、あの人には何も意味はない。だから、将来の改善を待つ為に生きたままにするべきだ。

この最後の理由が私の哲学から発生するので、説得力はない場合もあるだろう。だが、なんと言っても、一番の理由を認めざるを得ないだろう。国家が無罪な人を殺すことは許せないが、それを防ぐ為に死刑を廃止するほかならない。