志波彦神社・塩釜神社

昨日の旅行の目的は二つだった。奥の目的は、即ち最初に弾みになった理由は、被災地をちょっと応援することだった。しかし、私には復興に役に立つ技能などはないし、無用な人がただの邪魔者になるので、どうすればいいか迷っていた。結局、私がしたい東北への旅行を、できるだけ今年に実現することにした。観光地の復興には、観光客は必要だし、寄付金は必要であるとしても、当地で何かを営む方には、営業の継続性を保障する必要もあるが、寄付金が営業の健全に役に立たない。もちろん、三月に寄付したが、四ヶ月が経ったら、営業に貢献できないかと思った。

それで、東北でやりたいことを調べた。ずっと前から全国の一宮{いちのみや}へ参拝する計画があったが、滞った。しかし、陸奥{むつ}の国の一宮の鹽竈神社{しおがまじんじゃ}が仙台市に近い宮城県の塩竈市に鎮座する。仙台市に近いので、新幹線に乗ったら日帰りで参拝できるし、宮城県の海岸だから、被災地である。だが、観光客を受け入れる状態になったかどうかを確認することになった。塩竃神社のホームページや神社新報から神社が祭典をほぼ通常通り執り行うことになったことが分かって、そして塩竈市の観光協会のホームページで祭を行うとのお知らせが載ったので、市も大丈夫かなと思った。JRによると、電車が走るそうだったので、決まった。それに、JR東日本パスで、交通費が1万円で済むことになったので、数週間前に新幹線の席を予約した。

新幹線に乗ることは、旅行の楽しみの一部だった。日本に初めて来た時に新幹線で沢山観光したからだろうが、新幹線や特急列車の窓側に座って、日本の景色を通過することを見ることが大好きだ。本当にリラックスできる。それは、あいにく、一人旅に限る。家族がいれば無視できないししたくないので、特急の特別な楽しさはない。一人の時間も重要だよね。

東京駅まで行くのは、ラッシュの真っ最中で電車に乗ることになったので、ちょっと辛かったが、新幹線に乗ったら予想の通りだった。とても楽だった。窓越しに東北を見たら、屋根を青いシートで覆われた家が点在したが、それ以外災害の目立つ痕はなかった。仙台駅で在来線に乗り換えて、目的地に至った。

鳥居の後ろに202の石段が門に上がる
本格的な参道だ。
神社の男坂に着いたら、炎天下険しい石段が見えた。鳥居をくぐる前にもちろん帽子を外すが、背負ったリュックを下げなかった。普段なら、そうするが、石段を登るために背中のままにした方が安定で安全だと思った。

石段を登っていた間に、ちょっと緊張してきた。先ずは、新しい人と接することはちょっと苦手だが、訓練してきたのでちょっとできるようになった。だが、神社で被災地復興祈願を依頼するつもりだったが、それはどうやって受け入れてもらうか分からなかった。神社での祈願祭の大半は自分のことだから、個人として復興を祈願することは相応しいのか、それともちょっと傲慢なのか、心配した。幸い、ご祈祷受付で依頼書に記入することになったので、口に出す必要はなかった。だから、依頼書を渡して、内で用意した初穂料の熨斗袋も渡して、待った。受付の神職があまり反応しなかったが、私の前に祈願祭があったので、20分後になると言って、控え所に案内してくれた。リュックに持った上着を用意して、また待った。

祈願祭のために神楽を依頼したが、それは応援のためだった。初穂料が3万円を超えたら、神楽のある祈願祭になるので、神社は営業ではないものの、経済的な側面から支援するためにそれにした。だから、待っていた間に巫女さんがことなどを用意したことが見えた。

祭主になる神職が案内をしにきたら、上着を羽織った。暑かったが、正式参拝の場合上着を羽織るのは原則だ。ネクタイを着用したのはもちろんのことだが、私はネクタイには違和感は全くないので、苦労などすることはなかった。だが、上着を羽織るのはちょっとだったね。

塩竃神社では、本殿は三つあるが、拝殿は二つしかない。それに、塩釜の神様が所謂別宮に祀られるそうだから、祈願祭が別宮で行われる。階段の下で靴を脱いで、拝殿に昇殿した。建物は1704年の国の重要文化財だから、椅子はない。畳の上で正座することになった。練習の報いがまたあった。私が一人で座って、向こうに祭員が六人いた。神職は二人で、巫女は四人。最初にお祓いだったが、それから祝詞奏上だった。本殿が拝殿からちょっと離れるが、マイクを使って、拝殿で祝詞だ聞こえるような設備があるので、祝詞を聞かせていただいた。

それで、ほっとした。特別な復興祈願の祝詞を奏上したからだった。あの20分で作成できるかというと、経験と才能がある神職ならば、無理ではないかと言いたいのだが、そう思わない方がいい。要するにこのような祈願祭を前にもあったので、私の依頼は未曾有なことではなかった。神楽は一の森の舞だったが、それが終わったら玉串を奉った。

私と祈願祭を執り行った神職と舞を舞った巫女二人が並ぶ祈願祭が終わったら、祭主が近づいて、ちょっと話しかけてくれた。初めて祈願祭を依頼したことで「ありがとう」と言われたので、その点でもう心配が払拭された。拝殿から降りたら、祭主が記念写真を提案してくれて、撮っていただいた。珍しく、現場でアップする許可を求めることを忘れなかったので、許可を得た上でここで披露させていただく。それからも神職が暫く私と付き添って、境内の説明をしてくれた。建築の様式や鉄の灯籠の由来を紹介して、震災で灯籠が倒れてしまったことも説明してくれた。私がお守りと御朱印を受けてから、一人で境内の写真を沢山撮らせていただいた。ところで、新しい「全国一宮」専用の御朱印帳も受けたので、これから参拝しないとちょっともったいない。

参拝が終わったら、塩竈市に行って、鮨しらはたというレストランで美味しいランチを食べた。あそこでも店員が「来てくれてありがとう」のように行ってくれたので、本当に行ってよかったと思ってきた。お土産も買ったら、最後に御釜神社に参拝した。

御釜神社は、塩竃神社の境外末社で、古い塩の作成に使われた御釜を納める神社だ。100円の初穂料を納めたら、神釜を拝観できるので、そうした。神社の方によると、一つは千年前のもので、あと三つは800年前のものだそうだ。年に一回、七月の頭に、伝統的な方法に従って塩を作るそうだ。釜に参拝する経験は初めてだった。

塩竈市の駅周辺には信号が動かなかったし、本塩釜駅に被害が見えたが、あるお店の窓に3月11日の状態の写真が展示されたので、復旧が進んだことが分かった。訪れる人はまだ少ないのではないかと思ったので、ぜひ仙台市や塩釜へ旅行したらいかが。被災者の自立した復興の支援になると自信を持って思ってきた。

氷川神社

朱塗り楼門
氷川神社の楼門。拝殿と本殿の区域への入り口。

さいたま市に鎮座する氷川神社は、武蔵一宮と言われる。一宮というのは、平安時代後期の国の一番重要な神社を指す呼称だが、明らかではない国もある。実は、武蔵国はその一つだから、後でそれについてちょっと書きたいと思う。

なぜお参りしたかというと、生きているうちに全国の一宮のすべてにお参りしたいのだからだが、68があるので、超長期的な計画だ。とはいっても、千里の旅も一歩で始まるので、一つ目にお参りしないと無理だ。氷川神社から始まる理由は二つある。一つは、交通は便利だと言うことだ。さいたま市に鎮座して、大宮駅に近いし(大宮の大きな宮は氷川神社だとは言うまでもないだろう)快速の電車も頻繁に行く。もう一つは、私が今住んでいる川崎市は、昔武蔵の国の一部だったので、私の住まいの一宮だと言える。県は違うが、一宮の制度は、廃藩置県の前からの制度というより、置藩の前からの制度だ。(実は、二つの一宮にお参りしたことがあるが、それは厳島神社と諏訪大社で、観光の途中だったし、まだ神道のことが分からなかった時期だったので、数えない。それ以上、御朱印を受けなかったので、また行く必要がある。)

暑い日曜日にお参りしたが、他の参拝者は沢山いた。特に、初宮参りの家族を何組も見たので、赤ちゃんもよく頑張ったなと思った。結婚式も一組見たし、他のご祈祷をしてもらう人も続々と申し込んだ。氷川神社は有力的な神社であることは明らかだった。

だが、思わざるを得ないこともあった。それは、大規模な神社で初宮参りなどをしていただくと、個人的な気持ちは欠くということだ。比喩はちょっと失礼かもしれないが、マックドナルドと家族経営のレストランの違いと同じだ。長い目で見れば、近所のレストランとの関係を築き、特別なイベントがあれば、特別に祝ってもらうようにしたほうがいいと思う。同じように、神社の祭式は、氏神様で執り行ってもらったほうがいいのではないか。だが、有力な神社にも機能があるとは否めない。先ず、氏子がいるので、氏神様の機能も果たすべきだろう。それに加えて、大規模な祭りに参加するために、大規模な神社に参拝する必要がある。そして、有力な神社の神様と特に関わる祈願があれば、そこで祈願祭を行ってもらっても差し支えないだろう。ただ、少数の有力な神社がすべての神社の機能を独占したら、それは神社界にも、人間の社会にもよくないと思う。

朱塗りの廊下と緑の窓の棒
拝殿と本殿を囲む廊下

さて、参拝についてちょっと書く。境内は狭くはないが、都会の中心部にあるので、とても広いとは言えない。摂社と末社は八つあるが、一つは見つけられなかった。境内の中心部からちょっと離れているそうだが、指定されたところで探しに行ったら、なかったようだ。多分、とても小さい神社なのだろう。本殿は勿論、摂社と末社にもお参りした。

氷川神社のご祭神は、スサノオの命、稲田姫の命、と大己貴命(おおなむちのみこと、大国主神)だそうだ。摂社には、稲田姫のご両親、とスサノオの娘の宗像の神もあるが、少彦名命(すくなひこなのみこと)もいる。少彦名命は、記紀神話によると、大国主神の幸魂だそうだから、ある意味で大国主神の一部だ。要するに、摂社の神様は、主祭神と深い関わりがある神様だ。末社は、そうではない神様と決まっている。氷川神社では、例外ではない末社はある。稲荷神社、松尾神社、そして一つの建物に六つの神社を集めて、天照大神を含めて有名な神が祭られている。だが、興味深い例外もある。それは、御嶽神社だ。それは末社であるとはいえ、祭神は大己貴命と少彦名命だ。同じ神様なのに、深い関係を持たない末社になった理由は、調べたら興味深いだろう。もう一つの仮説が提案できる。御嶽信仰は、氷川信仰とあまり関係のない神社の流だし、明治維新まで祭神が異なった可能性は高い。だから、末社は建立された当時に、祭神は無関係だったかもしれないという仮説だ。

参拝は楽しかったし、参考になる点も少なくなかった。それに、一宮の巡拝が始まった。僅か67が残るよ。