私の生活、意見、日本語の練習

Archive for January, 2008

真由喜のために苦しむ

Posted by チャート・デイビッド on January 31st, 2008

昨日から沐浴方法を改めた。真由喜の背中を洗うのが危なくなったのを言ったが、昨日から一緒にお風呂に入って、だっこしながら背中を洗うことにした。全体的に考えたら、大成功だった。真由喜も楽しんだようだし、私も安心だったからだ。だが、今日真由喜が私の胸を何回も掴んでしまった。痛かった。ゆり子に真由喜の爪を切ってもらうと思う。だが、真由喜のために何でもいい。
ところで、昨日入る前に洋服を脱いだが、ゆり子が
「えっ、なんで裸になった?」と聞いた。
「あのう、お風呂に入るからだろう。」と答えたが、ゆり子がなんでびっくりしたか分からない。着たままお風呂に入ると思ったわけはないが。

復活

Posted by チャート・デイビッド on January 30th, 2008

昨日九時前に寝たので、今日また元気になった。だから、仕事をたくさんした。本の編集を終えたし、用事も進めたし、ゆり子の友達と一緒に昼ご飯を食べた。ゆり子の友達が真由喜を可愛いと言ってくれたので、それも嬉しいことだった。ただ、今日できた編集は、昨日できるつもりだったので、これからも仕事しないといけない。やはり、子供ができたら忙しくなるね。

寝不足

Posted by チャート・デイビッド on January 29th, 2008

寝不足になった。なんでだろう。とにかく、今日早めに寝るので、ブログは短い。

着物

Posted by チャート・デイビッド on January 28th, 2008

今日ゆり子が着物教室に行ってきた。この講座は、私からの誕生日プレゼントで、青山きもの学院で教えられている。ゆり子によると、本当に楽しかったそうだ。教室も綺麗だし、先生は教えてもらいやすいし、クラスメートはちょっと経験がある人だから、いい復習ができると言った。(結婚する前にゆり子が習ったが、それ以来時間はなかった。)せっかくのプレゼントだったので、よかった。
そして、真由喜を着物教室に連れていくわけはないので、私が数時間面倒を見た。それも楽しい。真由喜が一時間半眠ってくれたのでちょっと読書ができたが、大半は一所に遊んだり、おむつを替えたり、授乳したりした。今日気づいた出来事は、真由喜はモビルが好きだが、私が向きを変えて見えなくなった時に真由喜が自分で頭を回してまた見た。それはいい成長だと思う。なぜなら、モビルがまだ存在することが分かるのも必要だし、およそどの方向にあることも分からないとできないことだからだ。やはり、ゆり子がリフレッシュできる時間に、私と真由喜が楽しく過ごせる。

湯島天神

Posted by チャート・デイビッド on January 27th, 2008

湯島天神にお参りしてきた。家族三人での小さい旅だったが、本当に楽しかった。前に何回も言ったが、湯島天神で結婚式を執り行っていただいたので、縁がある神社だ。だから、新しいお札を授かるためにお参りしたし、ついでに鷽かえした。去年言ったかもしれないが、鷽かえは天満宮の神事で、木製の素朴な鳥を授かって、前年授かった鷽を納めることだ。一月25日には神事があるが、今まで毎年仕事があったので、まだ参列できていない。いつか当日に参列したいと思うが。
湯島天神で部屋を貸していただいて、真由喜に授乳できたので、助かった。本当に親切にしてくださった。
お昼は餃子だったが、真由喜が寝てくれたのでレストランのカウンターに載せて食べた。もちろん、私がいつも要すを見守って、落ちないように気をつけたが、終わるまで気持ち良さそうに寝てくれたので問題はなかった。最後に上野公園を通って帰ったので、真由喜に新しい風景がもう一つ見えた。天気は本当によかった。青空で気温も快適だった。真由喜がきょろきょろ周りを見ていたので、覚えるかな。もちろん語れるように覚えないが、脳の中でどこかで貯まったのかな。

一週が終わった

Posted by チャート・デイビッド on January 26th, 2008

また一週が終わった。今週仕事が進んだが今日疲れた。週末にゆり子と真由喜と一緒に休むつもりだ。
真由喜といえば、ちょっと前に一緒に歌って踊った。私が真由喜を持っていたのは言うまでもないだろうが、真由喜が大変喜んでいたようだった。笑い声を出して、足をばたばた振った。そして、その前に絵本を一生懸命見つめて、手を出した。本も音楽も好きになるだろう、真由喜は。

政治家の批判

Posted by チャート・デイビッド on January 25th, 2008

政治家を批判する人は多いだろう。特に記者が目立つが、少なくとも欧米で一般人も居酒屋などで政治家を激しく責める。日本も同じであろう。だが、最近私がちょっと遠慮してきた。
Ars Magicaの管理者として決断権力があるが、反対の意見を持つファンもある。だから、批判される。ほとんどの批判する人は、よりいい方法が勧められない。ただ、私がやったことは好ましくないので批判する。政治家の同じような立場にいるのであろう。
社会の問題は複雑で、重層で、相乗効果もある。一つを解決するのは難しい。例えば、日本の年金記録漏れ問題を挙げよう。確かにあるまじき問題だが、今日の政治家にできることは少ないだろう。記録をなるべく早く直そうとするしかないが、それをする為には財政が必要だ。政府には基本的には財産はないが、税金で得るお金しかないのである。だから、一つの問題を解決するには、他の問題を放棄するのが必要となってしまう。
長期的な問題を考えれば、環境問題と高齢社会問題には対立的な要素があると言える。環境問題を解決するために人口を減らすのが必要と言えるが、高齢社会を防ぐ為に人口を増やすほかならないと考えられる。両方は深刻な問題だから、どうしたらいいだろう。
権力のない人は、何を言っても世界には影響はあまりないので、間違えてもばれない可能性は高い。政権が間違えたらすぐにばれてしまう。だから、批判する資格のない人がよく批判すると私が思う。ほとんどの政治家は、泥棒でもないし、自分の威力のために働くわけもないので、難しい問題と挑戦する人として考えたほうがいいと思う。
政治家を批判するために、一つの政策を否定する気分より、纏めた国を指導する方針が必要だと思う。それはなければ、異論を発表してもいいが、政治家を批判するのは過言だと思う。