オクスフォード・コンマ

英語の文法では、Oxford commaと言われるコンマが存在する。それは、例などを列挙する場合、最後の「and」の前に入れるコンマだ。人によって、使う人も使わない人もいる。使わない出版社は最近多くなったような気がするが、使うところはまだある。違いは小さいだし、意味に影響を及ぼすことはあまりないと思われる。

例えば、ある例として:

I bought some apples, milk, and a newspaper.

そして、ない例として:

I bought some apples, milk and a newspaper.

文章をすっきりさせるためにオクスフォード・コンマを省略する人は少なくないだろう。しかし、英語にはもう一つの形が似ている文法もある。それは、言葉の内容を説明する文法だ。例を挙げよう。

This car is sold in two colours, red and black.

この文の語尾は列挙ではない。販売されている色の内容は赤と黒であると言う意味だ。この文法であれば、「and」の前にはコンマを入れていは行けない。

だから、オクスフォード・コンマには役割がある。列挙と説明の文法を区別する役割である。それは重要である場合もある。例えば、本では感謝を掲載する文を考えよう。作者はカトリック教徒である。

I would like to thank my parents, God, and the Blessed Virgin Mary.

つまり、「両親、そして神様と聖母マリアへ感謝申し上げたい」。これは、正当性のあるカトリック教徒である。しかし、オクスフォード・コンマを使わないと、次の通りになる。

I would like to thank my parents, God and the Blessed Virgin Mary.

つまり、「両親、すなわち神様と聖母マリアへ感謝申し上げたい」。これは「私は、キリストだよ!」と言う意味になってしまうので、正当性は全くないカトリック教徒だろう。

オクスフォード・コンマの役割は重要になる場合がある。そして、三個以上の列挙に入れても、差し支えない。間違いにならない。私は、文の構成をより明らかにするためによく使うが、ノンネイティブへの勧めは、いつも使うということだ。曖昧になるかどうかを判断するのは、難しくなる場合もあるので、それについて悩まずに通常に使用したほうが無難だと思う。

疲れ

イギリスでの旅は忙しかったことはもう明らかになっただろう。凄く良かったが、休憩にはならなかった。帰国したら、時差ぼけもあるし、仕事もすぐに再会したので、今までに疲れはとれていない。実は、結局この生活形式で疲れはとられないことの認識が固まってきた。一方、簡単に変えられることは非常に少ない。家族も仕事も不動だろう。だから、もう少し戦略的に考えている。近いうちに一旦休んで、体調を恢復させるつもりだ。そして、普通の生活に戻ったら、体調を維持するための工夫を取り入れる。現段階から見れば、維持することは可能であると思えるが、疲労された状態から元気のある状態に戻るのは、この環境でできない。

しかし、責任などを考えれば、まだ必要な休憩はとれないので、もう少し我慢して、休憩まで頑張る。もう予約はできているので、それほど長くないし、休憩が待っていることが分かれば、頑張れるようになる。

グランド・トライビュナル

イギリスの旅についての最後の投稿になる。仕事関係の用事があったが、それはArs Magicaの大会のGrand Tribunalに出席することだった。

「大会」と言うが、二十数人しか出席しなかった。TRPGの中でも、Ars Magicaはメージャーではない。それでも、出席者は七ヶ国から来たので、国際的な大会にもなっていた。この大会は8年間続いてきたし、私の参加のは三回目だった。(イギリスに行く必要があるので、毎回参加できるわけではない。)だから、前に会ったことがある参加者は多かったが、私にとって新しい人もいた。

私はもちろん有名人ではない。しかし、この大会は、私が10年間以上監督したTRPGのための大会だから、参加者は皆私のことを知っている。ちょっと不思議な経験だ。二十数人だから、私と話したがっていた人の皆さんと話せたと思うが、私が監督するゲームを楽しむ人と話すことは大きな励ましになる。無駄な努力ではない。

そして、Ars Magicaをする機会にもなる。日本で遊ぶ機会は少ないので、相当楽しめた。それに、参加者に私の予定やArs Magicaの将来についてちょっと話すことができた。このようなコミュニティがある経験は凄く良い。

来年行けないかなと思うが、また行きたいと思う。

ケンブリッジ

ケンブリッジも紹介しなくても良い町だろう。セットフォードから一本の電車で一時間以内行けるし、それに私の母校だから、イギリスに来たら一回訪れるのは当たり前だ。真由喜は三回目だったが、前の経験は覚えられなかったようだ。前回は3歳だったので、これも驚くほどではない。

お昼頃に着いたが、最初にゆり子の友達家族との昼食した。その家族も国際結婚でイギリス人と日本人だが、今のところイギリスに住んでいる。夏のケンブリッジの観光シーズンだから観光客は多かったが、ちょっとだけ観光地から離れたレストランに行ったので、混雑していなかった。ダッリズというレストランで、美味しかったし、値段は高くなかった(三人で30ポンドちょっとだった)ので、勧める。真由喜が英語で自分の追加注文したし、ケッチャップも依頼したので、英語の自信が増しつつあることが分かった。嬉しかった。

そして、本屋さんで私の友達と合流してから、私の母校のトリニティカレッジへ向かった。観光客に対して立ち入り禁止だったが、カレッジのメンバーはいつでも入れる。

門をくぐると、真由喜が周りを見て、感動を表した。

「このような大学を始めて見た!この大学に通いたい!」

嬉しい限りだ。

もちろん、真由喜は入学できるかどうかはまだ分からないが、目指せば良い。真由喜はもう真剣に必要なことを考えている。

「この大学に通うために英語が読めなければならないよね。でも、英語はもう読める子供は多いので、ダメだろう。どうしよう。」

英語がすぐに読めるようになると励ましたが、これから英語が読めるようになるために計画に入る。私と真由喜が一緒に英語の本を読めば良いと思うし、練習問題も一緒にするつもりだ。ケンブリッジの計画が12年間生き残らなくても、英語ができることは必ず役に立つと思えるし。

帰りの電車で、真由喜は高校時代にイギリスで勉強する計画と立てていたので、可愛かった。というより、それも有効な手法だろう。この決意がどうなるか、楽しく見守りたい。

私にとって、ケンブリッジはやはり懐かしい。学生の時代も講師の時代も良かったし、ゆり子と出会った頃でもある。イギリスに帰らせることの一つは、トリニティーでまた教えるチャンスだろう。しかし、今の道は大学の道と大きく違うので、その可能性は極めて低い。

ところで、真由喜にカレッジと大学との関係を説明しようとしたら、真由喜は「さぁ、ハリーポッターの学校のようなグループだように。」と言った。さすが現代っ子。