育児休暇の義務化

子供が親抜きに育つ状況は確かに好ましくない。親とのつながりを強化するために、育児休暇ということがある。ご存知の通り、仕事を休んで、子供を育てることだ。子供が就学する前に、親が毎日8時間程度働けば、無理があるのは周知の通りだ。だから、育児休暇として、三ヶ月を完全に仕事を休んで、3年間集に20時間する基準を設けよう。親は二人いれば、これで就学するまでの間をカバーできると言えよう。新生児の六ヶ月は、親とはなれない。六ヶ月から保育園に毎日数時間預かることになる。

親との時間は長ければ、保育園で他の子供と遊ぶことは良い経験であると思うので、理想的な育児環境でも保育園を完全に廃止するのは良くないと思う。確かに六ヶ月はちょっと早いと言えるだろうが、その詳細は専門家の判断に基づいて決めるべきだ。この投稿で具体的な数値があるように、3ヶ月と3年間にする。

タイトルで「義務化」と書いてあるので、義務を提案するのは待っているだろう。そうする。「義務」というのは、先ずは親に休む義務だ。雇用する企業には、まず休ませる義務がある。そして、育児休暇の期間、給与を続ける義務も課す。これも、詳細を考えなければならない。全額であれば、企業の負担が重くなるが、低すぎたら親の生活が苦しくなる。子ども手当などの国家からの援助に合わせると良いが、それも詳細を慎重に決めなければならない。そして、育児休暇が終わったら、元の通りの仕事に就かせる義務。3年間の半日労働の期間で、可能にする義務があるし、それが終わったら終日の勤務に戻す義務がある。もちろん、企業には負担があるが、社会の一員として負うべきことだと思う。この義務に違反すれば、罰金を科す。企業の場合、罰金の金額を高くして、管理職には刑事責任を科す。そうしないと、義務を無視するコストを簡単に計算する恐れがある。

親は、本当に育児に専念しているかどうかは、国家が検討すべきではない。子供が存在するので、虐待などの問題はない限り、子育てを最大限親に任せるべきだ。親のほとんどは、子供と沢山時間を過ごすのは当然だ。

そして、最後のことで一番重要であることだ。育児休暇の義務は、男性にしか課さない。女性には育児休暇をとる権利を与えるが、義務化しない。

これで期待できる結果の一つは、父親の子育てへの参加だ。子供が父親と良い関係を結ぶのは大事だが、そうするために一緒の時間は必要だ。そして、子育て現場では、母親は圧倒的に多いのは現状だ。男性には義務の育児休暇があったら、よりバランスをとるようになる。子育て現場での男女平等を図る。逆に、職場で女性の出産への意識が重要ではなくなる。女性であれば、仕事から欠席できなければ、育児休暇を縮小して働き続けることができるが、男性にはそのような選択肢はない。だから、就職のとき、企業が男性の申請を慎重に考える。もちろん、子供を設けるつもりについての質問を禁じた方が良いだろう。(西洋で、現在女性に対して禁じられてる。)だから、職場での男女平等も促進する。

伝統的な制度で育児を女性に任せたが、その積弊を払拭するために逆に男性に育児義務を課すのは早い手法だろう。

伝統的な家族制度

6月23日付の『神社新報』では、神道政治連盟の総会についての記事が載って、その中で少子化対策として伝統的な家族制度を再生させるべきだと主張した方がいたと伝えられる。その意味は、家長には独裁権力を与えるという意味であれば、到底賛同出来ないが、家族の形式には日本の伝統を活かすという意味であれば、悪くない側面もかなりあると思う。

先ずは、江戸時代を考えれば側室の制度がある。血縁を重視する場合なら役に立つが、関係の自由にも貢献する。法制には難しい点もあるが、考えれば、解決できるかと思う。例えば、正妻と側室の区別は現代の法律で認めた方が良いかどうかは、すぐに答えられない。一方、正妻と側室があれば、正妻の立場は明らかに有利であるので、法律上の平等が問題になるだろうし、扱いの平等を重視する私にも違和感がある。イスラム教の多妻婚では、妻を皆平等に扱う義務があるので、正妻の特別な立場は認められない。他方、婚姻から発生する権利などは、一人に与えるべき物も含まれる。例えば、意識不明になった場合の代理人になる権利は、複数の人に与えたら緊急時のややこしい問題を招く。その場合、正妻にはそのような権利を与えて、側室には与えない。

もちろん、憲法では男女平等は保障されているので、女性には正夫と側室を持つ権利も与えなければならない。そうすれば、ある女性がある男性の正妻であれば、その男性がその女性の正夫にならなければならない制度が良いか、男性は側室になっても良い制度が良いかは、慎重に審議しなければならない。そして、同じ男性を側室とする女性の間の関係も考えなければならない。出生届についても考えなければならない。生母が母親になるのは当たり前が、伝統的な制度に従えば、父親はその女性の正夫になるだろう。しかし、遺伝子検査で誰が父親であるかは特定できるので、生物学上父親である人にその立場を与えた方が良いのではないか。

そして、さらに平安時代まで遡ったら、三回性交して結婚を結ぶ制度を再導入したらどうだろう。それは、届社会では難しいと思われる。そして、住居の場所は、実家のままであることは、法律と関係ない。平安時代なら、子供は父親の方に属するが、現代風に考えれば、これは結婚しても戸籍の属性が変わらない結婚の形に相当するだろう。確かに、家族の伝統を重視すれば、実家の系統のなかで子供を産めるようになる制度は役に立つだろう。

とはいえ、「伝統的な家族制度」を讃えた方は、150年前にヨーロッパから日本へ導入された西洋系の家族制度を指した可能性はもちろん高い。それでも、日本の婚姻関係の歴史を参考としたら、現在の柔軟な制度のためのヒントになるとは本当に思う。

色欲の的

社会では一般的に「異性愛者」や「同性愛者」と言うが、それはどういう意味だろう。もちろん、「同性愛」は昔は「男色」と言われたことを指せるが、それはどこから発生するだろう。過去には、男性とも女性とも性交した人は少なくなかったそうだが、今も同じであると言われる。ここで披露する考えには証拠は全くないので、ただ私の仮説にすぎない。

色欲を興す要素は人によって異なるのは周知の通り。下品に言えば、巨乳好きも男も、貧乳好きの男も存在する。しかし、この双方は異性愛者である。男にはおっぱいはない。そして、色欲を抑える要素もある。太った人を嫌う人もいる。しかし、これも人によって違う。太った人を好む人も存在する。その上、色欲と関係しない要素もある。多くの場合、目色はそうだ。この否めない現象は仮説の柱の一つだ。

そして、人間が大人になったら、性別によって発生する要素がある。男性は、声が低くなるし、体に毛が生えるし、髭も生える。女性は、胸が発達するし、腰の形が変わるし、声が高いままにする。

では、これで仮説を説明できる。男性で、男性の特徴が色欲を抑え、女性の特徴が色欲を興せば、異性愛者だ。逆に、男性の特徴が色欲を興し、女性の特徴が色欲を抑えれば、同性愛者。女性は逆だ。

しかし、他の場合を考えなければならない。男性の特徴も女性の特徴も色欲を興せば、いわゆるバイセクシュアルだ。男性で、女性の特徴が色欲を興すが、男性の特徴は特に抑えない場合、だいたい女性と結ぶのは当たり前だが、男性と性交することもあるだろう。色欲は、体だけではなく性格によっても湧いてくるので、体の特徴によって抑えられなかったら、咲く可能性がある。

そして、複雑な入り会いも想像できる。例えば、男性で体の毛によって色欲は抑えられるが、低い声は問題ないとしよう。女性にも足などを剃ることを求めるだろうが、体を剃る男性でも色欲の対象になり得る。逆に、体の毛が色欲を興す女性で、おっぱいは特に抑えないなら、剃らない女性と結びつくことは想像できる。毛のないすらすら肌にしか拘らない男性は、実際に女性を憧れることは多いだろうが、特に「異性愛者」とは言えない。なぜなら、男性が剃れば、憧れてしまうからだ。

この考え方のほうが自由を保つのではないかと思う。「私は、この要素が良い。普段、女性に見つかるし、男性にはないが、例外的に逆であれば、当然男性を好む」と思えば、他の人に同じような行動を見ても軽蔑しない。人を枠に嵌め込む必要性が減るが、それはいつも歓迎することだと思う。

少子化称讃

少子化モンダイを取り上げる記事などは多いが、ここで簡単に問題ではない見解を強調したい。

まず、日本の自給率が50%を下回るのは周知の通り。この状況を危惧する人は少なくないし、適切な反応だと思う。日本の農業の効率化で自給率を上げることは可能だが、日本の農業の生産を倍増できるとは思い難い。だから、自給率問題を解消するために、人口減少は必要だ。人を殺さずに人口を減少させるために、少子化は必要だ。時間も必要だが、少子化と時間を合わせなければならない。

そして、地球儀を俯瞰する立場から人類の総合人口を考えれば、多すぎるほかならない。これは環境問題の基本的な原因だし、人口の減少か、少なくとも安定化を実現しなかったら問題がさらに悪化するに違いない。このような方針は、自分の国から始めさせるべきだから、少子化を歓迎できる。

日本国内の過密な都市も、少子化と深い関係を持つ。先ず、大都会の密度は、人間の生活には良くないとも言われるし、地震大国の日本の場合、危うい。人口が減れば、その密度が自然と和らぐが、もう一つの側面がある。田舎の高齢化問題は、少子化だけから発生するわけはない。都会へ移住する人口の流れも大きな原因となっている。だから、田舎に人を留まらせられたら、少子化から発生している問題の一部が解決されると思える。

もちろん、人口が減少スパイラルに入ってしまったら良くないので、適切な人口を維持するための政策は必要だ。そのような政策は、女性一人には原則として子供二人がいることになるが、適切な人口を決めるために有識者の審議は必要だ。ぼんやりと考えれば、9000万人程度なのではないかと思うが、それは特に裏付けはない数値だ。

そして、年金制度では、高齢者一人には現役世代二人以下が存在することは長期的な現実になると思えるので、制度改革は必要だろう。医療制度や介護についても考えなければならないが、問題は解決できると確信する。少なくとも、人口を無限に増やすことは解決策にならない。

人口減少には利点もある。問題を回避することは見逃せる利点ではないが、実感しにくいだろう。都会の人口が減れば、緑化がより簡単になるし、住居の床面積も上がると思える。この双方は生活をより快適にする。実は、大きな影響があると示唆する研究もあるようだ。人口減少とともに都会から田舎や地方都市の逆流が実現されれば、さらにこの効果は期待できる。

だから、少子化を問題視するべきではないと私は思う。問題はあるが、少子化を歓迎して、別な手法でその問題を解決するのは正しい。