首相の何人目?

日本にはまた新しい首相ができた。真由喜が生まれて以来の七人目。それとも、数え方によって、六人目。首相の人数がまだ真由喜の数え年の年齢を上回る。

ふざけ易いが、日本の国家の安定度をよく示す現実だ。これほど頻繁に政権が変わるのに、治安はまだいいし、経済はとくに悪くないし、社会全体が進んでいる。確かに、もう少し安定した政権はいいし、デフレ脱却の政策には効果があるともいいが、日本の社会の内在活力でいい社会を維持することはできる。これは非常にいいことだし、日本に住み着きたい理由の一つだ。

自由と刑法

刑法に関わる事件の基本は、無罪であれば罰を受けないことだろう。いかに社会に貢献すれば、無罪な人を拘束して刑罰を科すわけにはいかない。犯罪を企てる人を戒めるために、無罪な人を刑務所に入れたほうがいい場合もあるだろうが、そうしてはいけない。人生の計画の自由を考えれば、このケースは難しくない。刑務所に入れられたら、人生の計画が白紙になる。だから、自由を侵す。

では、刑法を撤廃するべきだろう。そうではない。刑法はないと、悪意のある人に周りの人の自由が侵されるに違いない。社会の構成は、現実の世界を考えながら築くべきだ。理想ばかり考えたら、実現できない。

そう考えたら、もう一つの現実に築く。人生のほしいままできるかといえば、そうではない。私は、月に住みたくても、そうできない。現実を見て、計画を考えるべきだ。しかし、そうするために、現実を理解しなければならない。理解出来ない要素もあるのは現実だが、社会がわざとそのような問題を作ってはならない。つまり、刑法がそのような問題にならないように気をつけるべきである。

具体的に、それは何だろう。まずは、刑法の内容を明らかにして、広告しなければならない。計画をたてるとき、ある行為は違法で、刑罰に遭うことがわかったら、別な行為を選ぶことはできる。これには、ちょっと刑法に影響を与えることがある。刑法は、ほとんどの人が暗記出来ることにしなければならないし、曖昧の場合、違法とするべきではない。刑法の改善が必要となるが、この原則はだれでも賛成すると思う。少なくとも、法律の哲学の基本の一つだ。そして、新しい法律で過去の行為を違法とするのは明らかな違反だ。将来の法律に配慮できないからだ。まぁ、完璧な予知夢を見ないかぎり。

でも、同じことから、無罪な人に罰を与えるべきではないことが分かる。人生の計画を立てるために、違法な行為を避けるとしよう。それでも刑務所に入れられたら、自由は大きく侵された。実は、逮捕状が出されてからの拘束も問題になる。原則として、他の人の危険を恐れない場合、拘束できないほうがいい。警察の調査を難しくするのは確かだが、警察は住民のために働く存在だ。曖昧の場合、警察官を付き添えさせてもいいだろう。実現するために、拘束するの基準を決めて、そして判断を裁判官に任せるしかないが、原則は有罪判決の前に拘束しないし、生活に邪魔をしないことにするべきだ。有罪判決の前の拷問も、同じ原理で禁じられる。有罪判決の後の拷問は、別な原理に基づく禁じるが、それは後日の話になる。

自由と人生計画

最近、人権に付いての論文を読んだり、J.S.Millの自由論を解釈したりした。その結果、より深く社会のあるべき構成と自由について考えた。結論から言えば、自由を保障するだけで社会の構成がほぼ決まると思う。もちろん、個人の人生の形は全く決まっていない。それは自由の意味だ。しかし、その個人の自由を保障するために、社会の可能な構成は限られている。

まず、より具体的に保証とする自由を説明しよう。目指すのは、すべての人間に自分の人生を計画して、そしてその計画を実現する自由を与えることだ。制限として、他の人の自由を侵さない限りだ。つまり、人には自分の人生を悪化する自由も与える。社会に貢献しない自由も与える。他の人の自由を侵さない限り、社会に悪影響を与えても許す。

これだけで、自己主義の絆のない社会が発生すると恐れるだろうし、貧乏や病弱の人を捨てるかと思われるだろうが、よく考えたら、そうではない。数日の投稿に分けるつもりだが、その事実を証明するつもりだ。

まずは、人生の計画を自由にするために、「典型的」な自由が必要であることを示す。これは難しくない。宗教の自由、職業の自由、居住の自由などは、明らかに人生の計画の自由の一部である。商業を自由に選べなければ、人生の計画の自由はないし、居住も宗教も同じだ。言論の自由も、自分の計画を表明するには必要だし、他の人には計画を薦めるのは、計画の一部である可能性は高い。差別も禁じられる。女性であるから神父になれないという制限は、人生の計画の自由を侵す。

このすべてには、詳細が複雑になる。居住の自由を訴えても、私が明日から皇居に住むことはできないし、できる権利を与える訳はない。職業も同じだ。トヨタの会長の職業を憧れても、欲しいからと言って就くわけにはいかない。しかし、この制限は結局他の人の自由から発生すると思う。このような自由を保障したら、社会が変わるのは確かだが、現在の社会と類似点はない社会にはならない。これからの投稿で説明する。

メリークリスマス

クリスマスツリーの下でプレゼントが群れるクリスマスの朝だ。クリスマスツリーの下にプレゼントが真由喜を待っている。ベッドの上でプレゼントが入った靴下も真由喜を待っている。ベッドの中で、真由喜が気持ち良さそうに眠っている。昨日の夜、大変楽しみにしていたので、今私は真由喜の起きることを楽しみにしている。

ところで、プレゼントがこの二週間ツリーの下で増えてきた。新しいプレゼントが加えられたら、真由喜がいつも「私のプレゼントですか」とわくわく尋ねた。しかし、中に見ようともしない。一人でリビングで遊んでも、プレゼントを見ない。プレゼントの中に人形を隠して、私を呼んで人形探しを遊ばせることもあるが、事前を開けようとしない。真由喜の特技は、適切な時間を待つことだろう。

午前中、私がクリスマスディナーを作る。本物だから、チキンではなくターキーだ。真由喜がちょっと手伝うとも思う。食べてから、家族三人でプレゼントを開ける。真由喜のプレゼントが一番多いけれども、それは当然だ。朝にアメリカの父とビデオチャットして、夕方にイギリスの母とする。西洋のクリスマスは、家族で祝う日だ。